TROUBLEMAKER 15 - 16 15 梢の場合 「なにやってんの、あの人」 まるで青春ドラマのような勢いで廊下に出て行ってしまった継生に、梢は思わず呟いた。点けっぱなしになっているテレビでは、南野ユカと橋本渉が今にも抱擁しそうなムードを漂わせている。艱難辛苦を乗り越えてきた二人がようやく結ばれるようだ。 「おっと、いい場面」 梢は一つ伸びをすると、姿勢を正してテレビに向き合った。 橋本渉が南野ユカをを抱き寄せる。華奢な女の肢体が、逞しい男の腕の中に納まる。 『ずっとこうしたかった……』 『私も』 『もう二度と離しはしないよ』 『うん、離さないで』 そして固く抱きしめあう二人。BGMには感動的な音楽、完璧だ。 梢は二度三度と瞬きをした。 (まずいわ、本当にゴリラに見えてきた……!) 先程の継生の発言のせいで、橋本渉の顔がどうも普通に見られない。言われてみれば、ゴリラに似ている気がしなくもなく、梢は継生の言葉に影響されている自分が情けなく思えた。 『橋本渉写真集 SURVIVOR』なる物まで買おうと思っていたのに。 (なによ、継生のバカ!余計なこと言うから〜!) おかげで感動的なラブシーンが、まともに見られなかった。 気が付くと、画面はCMに移っていた。 『ファイトォー、百発!!』 梢のテンションは更に降下した。百発も何をするんだよと、画面に向かってツッコミたくなる衝動が湧き上がる。大体、彼は今南野ユカと抱き合っていたはずではないか。なぜいきなり崖から落ちそうになっているのだ。 (私も新聞に投書してやろうかしら。CMにドラマの役者を出すな!って) これ以上見る気が失せた梢はテレビを消すと、居間を出て自室へ向かった。 「継生ちゃーん……」 彼の部屋の前を通り過ぎるときに声をかけてみたが、中から返事はなく、梢は「おやすみなさい」とだけ言った。 そのまま向かいの自室へ入ろうとすると、継生の部屋のドアが突然開き、彼が顔だけ覗かせた。 「通知表は明日見せてもらうからな」 そう言うと、また部屋へ引っ込んでしまった。 忘れてなかったのかと、梢は明日が来るのが少しだけ憂鬱に思えた。 16 炎天下、台所の裏手にて 数日後、相模原は梢の家を再び訪れた。この間の相原との電話によれば、彼女に対して相模原のことを釈明してくれたようだし、少しは心証も良くなっているだろうとの希望的観測にのみ頼ってやって来た。自分もだいぶ図々しくなったものだと、半ば呆れる。 ヒバの生垣に囲まれたその家は平屋建ての日本家屋で、かなり年代物に見え、鉄製の門などは随分とさびているが、妙な味わいがあると言うにやぶさかではなかった。 「町田」と書かれた表札の横にある呼び鈴を押すと、しばらくの間のあとで女性の声がインターホンのスピーカーから流れた。 『はい』 「あ、私、横浜企画の相模原と申しますが、梢さんはご在宅でしょうか」 『……少々お待ちください』 ガチャリと受話器を置く音。今の声は、「梢さん」のものだったような気がする。 果たして、玄関の引き戸を開けて外へ出てきたのは、彼女だった。相原のおかげなのか、この間よりは警戒の色が幾分薄らいでいるように見える。 ノースリーブのワンピースを着た彼女は、相模原を認めると、軽やかな足取りで駆け寄ってきたが、何故かやけに慎重な手つきで門を開けた。ちらちらと背後を気にしつつ。 「あの……」 相模原が口を開こうとすると、梢は「しっ」と人差し指を唇に当てた。 「こっちへ」 「え?」 急に腕を取られて、相模原の足はもつれた。梢は構わず彼を門の中へ引っ張りこみ、家の裏手へと歩いていく。相模原からすれば、シャツを捲り上げた腕に触れている梢の指の感触が気になって仕方がなかったが、おとなしく引かれるままについていった。 梢は台所の裏と思われる場所で足を止めた。地面には古びた如雨露や、ひびの入った金魚鉢が放り出されていた。 「すみません。兄に見つかるとうるさいので」 「はあ」 相模原は曖昧に頷き、思わず額の汗を指で拭った。家の陰になっているものの、ここも暑いことに変わりは無い。 「相原さんから、あなたのことを聞きました」 と、梢が口を開いた。 「この間は、すみませんでした。あんな風に逃げたりして」 「いや、あのときは無理もなかったと思います」 この間よりもだいぶ態度が軟化している梢を前にして、相模原は胸の内で相原に手を合わせた。しかしその喜びも束の間、梢は真っ直ぐに相模原を見据えて言った。 「でも、私、芸能界には興味ありませんので」 「……本当に?」 相模原がそう確認するのに対して、梢は「はい」としっかりした声で返事をした。心の揺らぎがまったく感じられないその響きに、彼は感心もしたが、もちろん残念な気持ちの方が大きかった。どうも彼女は相当な頑固者らしく、その考えを翻意させるのは中々難しそうだ。 しかし、ここでそう簡単に諦めることはできない。目の前の少女は、ルックス上々、清楚で真面目でなおかつ品もある。その上、芸能界には興味がないと来たもので、相模原には益々逸材と思えた。 「君は好きな芸能人とかいないの?」 「……いないことはないですけど」 「例えば、だれ?」 「そんなこと聞いてどうするんですか。会わせてあげる!とか言って、私を釣るつもりですか?」 「いや、まあ……」 と、梢の疑り深い目に相模原は苦笑したが、気にせず後を続けた。 「そうだな……橋本渉とか、どう?君みたいな優等生タイプはああいう野性的なのが好きなんじゃない?」 「……」 橋本渉の名前を出した途端、梢の顔色は明らかに変わった。頬が微かに赤くなっている。 (ビンゴ!)と、相模原は己の勘の良さを喜んだ。 「彼も、うちの事務所に最初はいたんだよ」 「本当ですか?」 「本当ですよ!そうだ、サイン貰ってきてあげようか?」 「……えー……でも……」 相模原の提案に、梢は迷うような素振りを見せた。芸能界に興味がないといっても、やはり女子高生。ミーハー心はあると見える。 あと一押しだゼと、相模原が密かに張り切ったとき、がたんと物が倒れるような音が二人の背後でした。振り返ると、コンビニの袋を手に提げた長身の青年が目を見開いて立っている。歳の頃は相模原と同じくらいか幾分若く見えた。 彼は相模原に視線をやると、「わっ!」と叫んだ。 「こ、梢ちゃん……その人だれ!?」 「淵野辺さん、声が大きい!」 梢が嗜めるように鋭い声を飛ばすと、青年はぎくりと肩を竦めた。 「ご、ごめん。なんか話し声が聞こえたから」 「あのね、この人は別に怪しい人じゃなくて」 「なんだ、梢がどうしたって!?」 いきなり割り込んで聞こえてきた声に、梢は額に手を当ててため息をついた。 「あの人にだけは気づかれたくなかったのに」 「あの人って」 相模原の口元が思わず引き攣ったとき、「あの人」は現れた。それは果たして梢の兄だったのだが、以前見たときとはあまりに違う姿に、相模原は一瞬呆気に取られた。 彼は確か「二枚目」だったはずなのに、今は分厚い眼鏡をかけていて、それが少しずり落ちた様はまるで喜劇役者のようであり、眼鏡一つでこうもイメージが変わるものかと、相模原は感心すらした。おまけに髪までぼさぼさなんて出来すぎている。 そんな彼の感心など知る由も無いその兄は、「梢!」と彼女の元へ駆け寄ると、すかさず相模原から彼女を遠ざけた。 「てめえ、また来たのか!!」 「いや、僕は……」 「梢に名刺を渡したらしいが、本当はストーカーかなんかだろ!!」 「ち、違いますよ!」 「じゃあ、違うという証拠を見せろ!!」 「そんな無茶な」 「落ち着いて、継生ちゃん。この人は別に変な人じゃないの」 「どうして、そんなことがわかる!」 梢が肩を揺すっても、継生と呼ばれた彼女の兄は全く聞く耳を持たなかったが、そこへ救世主が現れた。 「あら、祐介だ」 「相原ぁ〜!」 家の角から、ひょいと出てきた相原を見た途端、相模原の口からは我知らず今にも泣きそうな声が出た。自分でも気づかないうちに随分と追い詰められていたようだ。 継生は相原を睨んだ。 「おまえ、こいつのこと知ってるのか」 「ああそうなんですよ。彼、僕の中学のときの同級生なんです」 「えぇ?」 「相模原っていうんですけど、芸能事務所に勤めてて、梢ちゃんをスカウトしに来たんですよ」 「それ信用できる話?」 訝しげな目で見る継生を、相原は笑い飛ばした。 「信用できますよー。だってこの人、南野ユカのマネージャーやってたんですよ」 「ウソ!」 と叫んだのは、継生だけでなく梢もだった。相模原は慌てて手を振った。 「でも、まだ売れてないときに数ヶ月だけですから」 「相原さん、本当に信用できるの?」 「うん」 梢から肘でつつかれた相原は頷いた。 「前に祐介と南野ユカと僕と三人で、ご飯食べたことあるし」 「うっそだー!!」 また継生と梢が揃って声を上げた。 「信じられなーい、あの南野ユカと相原さんが知り合いなんて」 「なんで、お前!俺を紹介してくれなかったんだよ!!」 「いや、そのときはまだ、あのコも一般人みたいなもんだったし〜」 「ああ〜惜しい!」 「何を惜しがってるのよ。紹介してもらって、一体どうするつもりなの」 「どうするって、そりゃあなた、大人の付き合いをば……」 「嫌、やらしいんだ〜!」 「どこが!何を想像したのか知らないけどさ、梢さんの方がやらしいんじゃないの?」 「な、な、なによそれ〜」 相模原のことなどすっかり忘れたように、二人は盛り上がって(?)いる。 「あのう」 と相模原が口を開くと、ハッとしたように梢と継生は喋るのをやめて、彼の顔を見た。 「僕のこと、信用してもらえたでしょうか……」 「まあ……相原の知り合いだっていうしな」 こう言われてしまえば、相模原は相原に対して益々感謝しなければならない。見れば、相原はにやにやと、どこか恩着せがましい笑みを浮かべていて、相模原は少し嫌になった。はあ、とため息をつきたい気分になっていると、継生が自分を見ていることに相模原は気が付いた。彼の目つきは怜悧で、なんだか落ち着かない気分になる。 「しかし、あんたも物好きなヤツだな」 と、継生は言った。相模原は微かに目をすがめた。 「……何故ですか?」 「何も梢なんかに目を付けなくても、他にもっと可愛い子がいるだろうに」 「どういう意味よ、それは」 割り込んできた梢に構わず、継生は言葉を続ける。 「こんな生意気で、男に興味もなさそうなお堅い女が芸能人なんて、向いてないと思うけどね、俺は」 そう言われても、相模原としては、どう返したらいいのか困る。 「いや、そんなことは……」 「私だって男の人に興味くらいあるわよ」 「どうせ、テレビの中の男にだろ?」 「う……」 図星だったらしく、梢は悔しげに唇を噛んだ。継生はそれに追い討ちをかけるようなことを言う。 「大体さ、梢には華がないよな。そりゃブスとは言わねーけど、こうパッと人目を引き付けるようなものもなけりゃ、性格もどっちかというと暗いしよ。デビューできても成功するとは思えないぜ」 (おいおい、酷い言い草だな……) あんまりな継生の言いように、相模原が梢の方をちらりとうかがうと、彼女は今にも爆発寸前といった感じで両の拳を握り締めていて、非常に危なっかしい状態に見えた、と思いきや次の瞬間、 「そんなのやってみなけりゃ、分からないじゃないッ!!」 と継生に向けて言い放った。 「え?」 と目を丸くしたのは相模原だけではなく、継生も同じで、彼としてはこういう成り行きは予想していなかったらしく、次第に顔に焦りの色が現れだした。 「な……お前、まさか」 そう問いかけようとする継生から顔を逸らして、梢は相模原を見た。 「私、スカウトのお話、受けさせていただきます」 「……ほ、本当にいいのかい?」 「はい」 相模原と梢はしばしの間、視線を交わした。が、継生が苛立ったように、そこへ割り込んできた。 「二人だけで話を決めるんじゃない!!」 「継生ちゃんが何と言おうと、私の意思は変わらないもんー」 「意思ぃ?お前、俺に対して意地張ってるだけだろうが」 「それも少しはあるかもしれないけど」 そう言うと、梢は妙に思いつめたような表情で目を伏せた。 「考え直したの。私にとっては、いい機会かもしれないと思って」 「いい機会って!大体、お前、来年は受験生じゃねえか」 「そう言われても、私、最初から大学受験する気ないし」 「なんだってぇ!?」 大げさに驚く継生を、梢はどこか物憂げな目で見つめた。 「このスカウトがなくても、高校を卒業したら就職するつもりだったわ、私」 「……」 継生は困惑と不安が入り混じったような顔で、梢を見返したが、彼女は何も言わなかった。 先程までの言葉の応酬が嘘のような沈黙が、その場に流れた。 (俺はどうすればいいんだ……) 困ったのは相模原で、目の前の兄妹に漂っている雰囲気は気軽に口を挟めるようなものではなく、だからと言って、梢がスカウト話に乗ってくれるというのであれば、このまま黙っているわけにもいかず、うーん困った。 そんな風に彼が逡巡していると、突然、梢がうつむき、胸の辺りを手で押さえた。 「なんか気持ち悪い……」 「大丈夫か」 継生が心配そうに梢の顔を覗きこむが、彼女は彼を振り払うようにして、家の方へと駆けて行ってしまった。 「あ」 と、相模原は思わず手を伸ばしそうになる。すぐ傍で、継生がため息をつくのが分かった。 「こんな暑い中で突っ立ってたら、気持ち悪くもなりますってー」 今まで黙ってことの成り行きを眺めていた相原は、肩をすくめた。 「さっさと家ん中に戻りましょうよ。菊名さん、きっとお冠だと思うな」 「まずい〜っ!」 初めに現れた長身の青年が突然、手に持ったコンビニの袋を見て悲鳴を上げた。 「僕、アイス買ってきたんだった!」 つまり、この炎天下、彼はアイスの入った袋をずっと提げたままでいたわけだ。 「バカめ」 と継生が呟いた。 ← → novel |