TROUBLEMAKER 13 - 14




13 役立たずのアドバイス

 
 携帯電話を開くと、ディスプレイには「相原」の表示が出ていた。
(なんの用だ、こんな明るいうちから)
 いつもろくなことでは電話してこない友人だ。彼は少し警戒しながら電話に出た。
「はい」
『あ、祐介?相原ですけどー』
「うん。久しぶりだな、相原」
『そうね。でさ、いきなりでなんだけど、あんた今日女の子のこと付け回したでしょ』
 電話を耳に当てたまま、相模原は束の間固まった。なぜ、相原がそのことを知っているのか。
「……なんのことだ」
『とぼけても無駄だって!髪が長くて可愛いんだけど、ちょっと頑固そうなコだろ?で、手強い兄貴がいるんだ』
「……」
『黙らないでよ〜』
「言っておくが、付け回したわけじゃない。スカウトだ。それにしても、なんで知ってるんだよ」
『知り合いなんだ、僕。その兄妹とさ』
「えっ、本当に!?」
 思わず電話を持つ手に力が入った。
『急に大きな声出すなよ。ビックリするじゃない』 
「悪い。でも、どういう知り合いだよ」
『あの兄貴、僕がアシスタントしてる漫画家の先生』
「そうなの?でも漫画家にしちゃ、随分といい男だったけどなぁ」
『漫画家にだって二枚目はいるんだよ』
 電話の向こうの相原は少しムッとしているようだった。
『ま、とにかく梢ちゃんが、あ、梢ちゃんて、その女の子のことだけどね。今日変な人にスカウトされたって悩んでてさー』
「変な人!」
 相模原は密かにショックを受けた。
『よくよく聞いてみたら、それって祐介のことだった』 
「……それで、電話してきたのは何の用なんだ」
『別に〜。ただ祐介のことを久しぶりに思い出したからさぁ』
「少しは俺に協力しようとか思わないのか」
『僕になにができるっていうの?一応、あんたの会社が真面目なとこだっていうのは話してあげたけど』
「それならついでに、梢ちゃんとその兄貴に紹介してくれよ」
『随分とご執心なんだね。そんなに梢ちゃんがいい?』
「うん、いい」
『ふーん。でも悪いけどさ、僕って基本的に役立たずじゃない?」
「……まあな」
 相模原は否定しなかった。相原とは中学の頃からの付き合いだが、彼と一緒にいてメリットがあったことは一度たりともない。
『だから、僕に期待されても困るのよね』
「アドバイスくらいくれよ。あの兄貴って何か好きなものとかない?」
『賄賂でも贈るつもり?そういうのあんまり効果ない人だと思うよ』
「じゃあ、弱点とか……」
『それは梢ちゃんだわ。重度のシスコンだから、あの人』
「そんなの俺にとってはますます都合が悪いじゃないか」
 芸能界入りに反対されることは目に見えている。
『まあね。あ、そういえば思い出したけど、南野ユカが好きだって言ってたっけ』
「南野ユカ……」
 その名前を聞いた相模原は胃の腑が抉られるような痛みを一瞬覚えた。
『あんた、あの子と付き合いあるんでしょ。サインでも貰ってやったら、少しは先生の印象も良くなるかもよ』
「それは無理だ、絶対に」
 これ以上彼女に関する話はしたくなかった。相模原は無意識のうちに左手を固く握り締めていた。
『どうしたの?なんか急に声が暗くなったみたいだけど』
 ちゃらんぽらんな男だが、相原は鋭い。相模原は無理やり声のトーンを上げた。
「いや、なんでもないんだ」
『本当に?あ、あとさ、先生の弱点もう一つあったよ。意外と勢いに弱いんだ』
「勢いねぇ……」
 そう相槌を打ちながら、相模原は気分が滅入ってくるのを感じた。
「まあ参考にさせてもらうよ。それじゃ、今日は仕事があるからこの辺で」
『ああそう』
「また今度飲みにでも行こうぜ」
『うん、じゃあね』
 電話を切ると、どっと疲れが襲ってきた。
 たった一人の人間の、たった四文字の名前に過ぎないのに、その名を聞くだけで彼は後悔の念に捕らわれてしまう。しかし、そんなネガティブな感情に浸っていることは許されないし、これ以上ダウナー方向へぶれたくもない。
 相模原は頬杖をついてため息をついた。駄目だ、結局落ち込んでいる。


14 困惑

「やっぱりカレーなんだ」
 その夜、台所に入ってくるや否や、梢はそう言った。あまり嬉しそうではない。まったく可愛くない奴だと、鍋をかき混ぜていた継生は苦々しい気持ちになる。
「悪うございましたね、梢さんのお嫌いなカレーで」
「嫌いだなんて言ってません。継生さんの十八番ですものね、ハウスバー○ントカレー」
「嫌味な奴だなぁ!なんでそうネチネチとしてるんだよ、おまえは」
「最初に嫌味言ったのはそっちでしょ」
 さらりと言い返すと、梢は慣れた手つきでスプーンと皿と漆塗りの椀を食器棚から出した。週一回はカレーが食卓に上るので、慣れているのもむべなるかな。
 椀を出したのは味噌汁をよそうためで、この家ではカレーのときもパスタのときも、冷やし中華のときも、どんなときでも味噌汁付きと決まっている。理由は特にないが、何故か。
 梢は継生の横から味噌汁の入った小鍋を覗き込んできた。 
「えっ、味噌汁の具ワカメだけ!?」
「また文句かよ」
「別に文句じゃなくて、冷蔵庫に豆腐あった」
 と思うもーん。そう呟きながら、梢は冷蔵庫を開けた。かと思うと不意に大きな声を上げた。
「ああっ!」
「今度はなんだ」
「牛乳がない!」
「あ、買ってくるの忘れた。まあでもいいだろ、牛乳くらいなくても……」
「カレーには牛乳って決まってるじゃん!!」
「そんなのおまえが勝手に決めてるだけだろ、水でも飲んどけ」
「……」
 冷蔵庫を覗いたままでいる梢が、不服そうに口を尖らせていることは想像に難くない。だが、彼女は諦めたようで、豆腐を持ってまな板の前にやってきた。
「乾燥ワカメ入れるだけなら、誰にでもできるわよね」
「生後三ヶ月の赤ん坊にもか?」
「……ママが手ほどきすればできるわ、たぶん」
「ああ、俺には手ほどきしてくれる優しいママいないもんなぁ」
「バカじゃない?」
 ばっさりと会話を打ち切られて、継生は口元を引き攣らせた。編集者の神奈川は梢を今時の若者にしては珍しい素直な娘だと言ったが、継生にはそうは思えない。テレビに出てくる化粧の濃い女子高生と同じように、梢も継生には残酷で容赦がない。 
「最近、俺に冷たくない?」
「そんなことないでしょ、別に」  
「なんか、反抗期っていうかさ。全然、俺と遊んでくれないじゃん」
「気持ち悪いんですけど」
「気持ち悪いって、なんだよ!」
「ていうか、いつまでカレー煮込んでるのよ」
「……でも、煮込めば煮込むほど美味くなるとかどこかで聞いたし」
「煮込めば煮込むほど、じゃがいもは溶けるって、私は聞いたし」
「む……」
 梢の言うとおり、このまま煮ていたらじゃがいもがカレーと一体化するのは自明の理である。言い負かされた悔しさに歯噛みしながらも、継生はコンロの火を止めた。
 年長者としての威厳はどこへ行ったのか。

 ボーンと廊下の時計が九回音を鳴らした。ということは九時だ。
「あ〜、間に合った!」
 夕食のあと、居間のソファーに横になってうとうとしていた継生は、梢の声で目が覚めた。顔に被さっていた雑誌をどけると、パジャマ姿の梢がテレビを点けていた。風呂に入ったらしく髪が濡れている。
「何かあんの?」
「うん、ドラマ。二時間の」
「ふーん。なんていうやつ」
「ロング・ジェネレーションとかいう……」
 長い世代?
「継生ちゃんの好きな南野ユカも出るって」
「へーっ、そうなんだ」
 南野ユカの名前を聞いた継生は、そのドラマに対して俄かに興味が出てきて、姿勢を正してソファーに座りなおした。
 テレビの画面はまだCMを流している。
「で、梢は誰目当てで見るんだよ」
「……橋本渉」
「橋本渉ぅ?おまえ、あんなゴリラみたいな男が好きだったのかよ!」
「どこがゴリラなのよー」
 橋本渉というのは近頃よくドラマに出ている俳優で、スポーツ畑出身のちょっといい体をしたハンサムガイだった。
「そうか、梢はああいうのが好みなのか……」
 そのとき、ちょうどCMにそのゴリラが出てきた。
『ファイトォー、百発!!』
 険しい崖を上り終えたあとの決めの一言に、梢はニコニコと笑みを浮かべている。
「かぁっこいい〜」 
「どこが?つうか、百発も何するわけ?ちょっとヤラシイよなぁ」
「なにか言いました?」
 梢からブリザードのような視線を投げられて、継生は「しまった」と思ったが、一度言った言葉を口の中に戻すことはできないわけで、ここはじっと我慢することにした。
 そうこうしているうちに、ようやくドラマが始まった。
 雄大な北海道の自然を舞台に、一組の男女が歩む数奇な運命を描いた作品だった。
 要するに……ドラマとしては非常にありふれた話で、最初のうちは二人で色々とストーリーに難癖をつけては笑っていたのだが、そのうち梢の言葉が少なくなり、気が付くと彼女は眠っていた。
 点けっぱなしの扇風機が梢に風を送っている。継生は立ち上がり、スイッチを切った。
(あーあ、口開けちゃって)
 ソファーの肘掛に頭を乗せて目を瞑る梢は、普段の生意気さが消えて、無防備な顔をしていた。頬にかかった髪を除けてやると、伏せられた長い睫が微かに揺れた。
「ここで寝るなって言ってるのに」
 部屋へ連れて行ってやろうと彼は、梢の背中と膝の裏に手をやって彼女を抱き上げた。すると、不意打ちのように、ふわりとシャンプーの香りが鼻先を掠めた。
 ――梢ちゃんとの甘い夜、がんばって!
 突然、相原の声が聞こえたような気がしたかと思うと、継生の頭は真っ白になった。
(……え?あ、やべっ!!)
 彼は半ば発作的に、梢の体をソファーに投げ出した。
「ふぇ……?」
 スプリングに跳ね返された梢は目を覚ました。自分を見上げてくるぼんやりとした彼女の目に継生は益々いたたまれなくなり、部屋を飛び出した。
「どうしたの、継生ちゃん?」
 不思議そうな梢の声が聞こえたが、彼は構わず自室に飛び込んだ。灯りも点いていない暗い部屋の中、戸に凭れて天上を仰ぐと、自然と深いため息がこぼれた。
「なにやってんだよ、俺は……」
 


 

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