TROUBLEMAKER 11 - 12




11 言わぬが花

 継生が電話を終えて戻ってくると、梢と相原が何やらひそひそと話をしていた。
「だからさあ……考えてみたら」
 相原がそう言ったことだけは分かったが、継生が部屋に足を踏み入れた途端、二人の声は、まるでテレビの電源が落ちたようにぷつんと途切れた。
「……」
 気まずかった、非常に。梢と相原は明らかに継生を意識して話をやめたのだ。
(なんだ、俺は除け者か!)
 いい年をして拗ねたくなるよな、この空気。俺も混ぜろよ〜なんてことは、とてもじゃないが言えそうになかった。彼らの沈黙があまりに徹底していたもので。
 二人に習ったわけではないが、継生も黙って元いた位置に腰を下ろすと、やおら相原が口を開いた。
「いや〜、それにしてもさ!今日は本当に暑いですよね」
 あははは!と彼は笑って、わざとらしく手でぱたぱたと顔を扇いだ。
(それでごまかしてるつもりか、バカ)
 継生の疑惑はますます深まった。梢といえば、グラスを手にしたままで俯いている。よく見れば肩が震えていて、やはり彼女も正直者なのだった。
 とにかく、二人が継生に聞かれたくない話をしていたことは確かなようだ。それが取るに足らない内容なのか、それとも重要なものなのかは分からないが。
 もっとも、内容以前に隠し事をされた時点で、継生としては面白くなかった。
「あ、そうだ、テレビ見ようっと」
 またも白々しい言葉と共に、梢はテレビのリモコンを取ろうとした。と、継生もすかさずそれに向かって手を振り上げる。
「いたっ!」
「こりゃどーも失礼」
 継生が叩いた手をさすりながら、梢は睨んできた。
「わ、わざとやったでしょ」 
「やるわけねーだろ、わざと」
「なによ、仲間はずれにされると、すぐ拗ねるんだから」
 もうボロを出した。内心ほくそ笑みながらも、継生は怪訝な顔を作った。
「仲間はずれ?それは、どういう意味だろう」
「……」
 失言を悟ったらしく、梢の目は泳いだ。そして溺れそうになり、あっぷあっぷしているのは間違いない。
「あー!仲間はずれってのはさっきの、先生が三十路手前だっていう話のことですよ!」
 いきなり割り込んできたのは相原で、彼としては梢をフォローしたつもりらしかったが、継生がそれを信じるはずもなく、「おまえは黙ってろ」と一蹴した。
「なんか俺に聞かれたくない話があるみたいだな」
「別に」
 そう言ってそっぽを向く梢ときたら、某若手女優を彷彿とさせるような仏頂面で、継生は本気でむっとしたが、なんとか平常心を保とうと努力した。
「あ、そう。いいけどよ、まあ、俺だって無理に聞こうとは思わない。でも、お前が話したくなったらいつでも……」
「一生話さないし」
 フンと鼻で笑われて、継生の中でぷちんと何かが切れる音がした。幼少の頃から瞬間湯沸かし器と呼ばれた男だけはある。
「なんだと!?何様のつもりだ、おまえはっ!!」
「聞く気がないんでしょ、それならいいじゃない」
 敵もさるもの引っ掻くもの。この家で長年渡り合ってきた相手なだけに、梢は落ち着いているし、相原は「まーた始まったよ」とばかりにニヤニヤしている。
 継生一人が熱くなっている、この状況。
「バカ!!おまえは何にも分かってねえな!俺が一歩引いてやったんだから、ここは、それじゃあ聞いてもらおうかな……ってなるだろ普通!!」
「何言ってるかわからないんですけど」
「なんでわかんないんだよっ!!」
 あーもうイライライラと継生が頭をかきむしると、梢は突然だん!と座卓を拳で叩いた。いきなりだったので、継生の体は思わず強張った。
「私にも個人的な話っていうのがあるの!これ以上、口出ししないでくれます!?」
「こ、この……」
 と継生は何か言い返そうとしたのだが、自分を睨みつける梢の目が余りに怖くて、言葉が出てこなかった。沸騰したお湯はあっという間に冷めてしまったようだ。情けない。
 相原が鼻歌交じりに肩をつついてくる。
「弱いなぁ、先生」
「てめえは黙ってろ!」
「うっさいわねー」
「そんな、梢」 
 つーんだ!という音が聞こえてきそうなほどに冷たい横顔を見せ付けて、梢は立ち上がった。
「夕飯まで寝るっ!」
 一体何なのかよく分からない宣言をして、彼女はどすどすと足音も荒く部屋を出て行った。
「どういう意味だ」
「今日の夕飯って、なんですか?」
 相原から尋ねられて、継生ははたと気が付いた。
「まさか、メシの支度をやれってことか!?」
「ああ、いーですね。先生の手作りご飯。僕もご馳走になってこうかな」
「誰がおまえにご馳走なんかするか!!さっさと帰れよ!」
 今になって怒りがよみがえって来た継生だが、やはり相原にはまったく影響がなく、彼はからかうように大きな目をきょろきょろさせた。
「え、いーんですか。そんな邪険に僕を追い返して。僕と梢ちゃんが何を話してたか知りたくないんですか」
「聞いたら、教えてくれるのか」
 見据える継生に向かって、相原はにっこりと輝くばかりの笑顔を浮かべた。
「ん〜〜〜教えてあげないよッ、じゃん!」
「帰れ!!」
 手近にあったクッションを力の限り投げつけると、相原は弾かれたようにソファーから立ち上がり直立不動の姿勢になった。何故か敬礼のポーズを取って、「アイサー!」と声を張り上げる。
(あーもう)
 相原の奇行につっこむ気力は最早なく、継生は彼を無視した。相原は干し椎茸を出して軽くなったリュックサックを背負うと、頭を下げた。
「今日のところは失礼します。また明日会えますけど」
「会いたくないけどな」
「それじゃ、梢ちゃんとの甘い夜、がんばって!」
「あ!?」
「さいなら〜!」
 脱兎のごとく、相原は玄関へ走っていってしまった。継生が怒鳴る間もなく。
「なにが言いたいんだ、あいつはっ!」
 貴重な休日なのに、今日はやたらに振り回されている。梢と相原の二人が揃うと、どうも食い合わせが悪いような気がしてならなかった。
(大体がんばれって、何をがんばるんだよ)
 そう考えた継生はあることを想像してしまい、一人で顔を赤くした。なにを想像したかは、言わぬが花というものだろう。


12 横浜企画の午後

「……はっくしょん!!」
 相模原は大きなくしゃみをした。風邪でもないのに、鼻に埃でも入ったのだろうか。ぐずぐずと鼻を啜りながら、相模原はハンカチで額の汗を拭った。
 会社は駅から遠く離れている。賃料が安いのだから仕方がない。おまけにバス代もガソリン代も出してくれないので、相模原はこうして何十分もかけて徒歩で会社に向かっているわけだ。
「ったく」
 思わず愚痴めいた一言が口をつく。
 アンテナに引っ掛かる娘がいても、その先には大抵「親」という難関が待ち構えている。彼らは我が子を愛するゆえに疑い深く、非常に慎重だ。
 今日の場合は「兄」だったようだが。
(あっ、そういえば)
 相模原はポケットを探って、ミントタブレットの箱を取り出した。何度か振ってみるが音はしない。空っぽだった。
 煙草をやめて以来、中毒症状についてはこれに鞍替えしている。
 ちょうどおあつらえ向きに、前方にコンビニエンスストアが見えてきたので、彼はそこで買うことにした。 

 レジで会計を済ませて店を出ようというとき、入り口近くに小さなテレビが設置されていることに気が付いた。エンドレスで商品のCMが流されている。
(あ……)
 相模原はテレビの前で立ち止まった。
 今をときめく若手女優の南野ユカがペットボトルを片手に、華やかだが、どこか憂いを秘めた笑顔を浮かべている。彼女には清潔さと色っぽさが何の矛盾もなく同居していて、テレビ界のみならず映画の世界でも重宝されていた。
(それに文句のつけようのない美形だ)
 売れるはずである。
「は〜あ」
 冴えないため息を一つついて、相模原は今度こそ店を出た。 

 相模原の職場は、「青葉ビルヂング」という三階建ての雑居ビルの二階にある。働く人間は社長が一人、営業が相模原を含めた二人、事務が一人。正真正銘ちっぽけな会社である。
 「横浜企画」というプレートが貼られた扉は薄汚れていて、はめこまれたガラスはセロハンテープで修繕してあった。
「戻りました……」
「あ、おかえりなさい」
 中へ入ると、事務の片倉が一人きりで仕事をしていた。片倉は二十二歳だが、年頃の女性にしては恐ろしく垢抜けなかった。黒い剛毛を二つのおさげに結って、丸くて大きな黒ぶち眼鏡をかけている。しかし、優しくよく気がつく性格で、相模原は彼女が好きだった。異性に対するような気持ちではなかったが。
「なにか冷たいものいれますね」
「うん、ありがとう」
 ぼろい事務所だが、狭いおかげで冷房が効くのは幸いだった。シャツの下の汗が冷えていくのを快く感じながら、相模原は自分の机に座った。
 しかし、特に仕事はない。彼の担当しているタレントたちは、今日はオフ……と言えば聞こえはいいが、要するに仕事が入っていないわけで、憂えるべき事態なのだった。
「やっぱり、あのコが欲しいよなぁ」
「あのコって、例のスーパーで見たコですか?」
「うん」
「相模原さんが見初めるくらいだから、きっと有望株なんでしょうね」
 片倉は「どうぞ」とグラスを置いた。爽やかな草色をした緑茶だった。
「俺も見る目だけは自信があるんだけど……」
 グラスを手に取りながら低い声で呟く。見る目だけで、その後は本当に自信がなかった。
 実のところ、相模原は今まで何人もの女優の卵をスカウトしてきた。皆、資質は高かった。なぜそれが分かるのかというと、その誰もが成功したからだ。
「その後がよくないんだよな、俺の場合」
 ある程度名前が上がると、いつも他の事務所に引き抜かれてしまう。
 どうも相模原は……いや彼だけでなく、この横浜企画は業界内での立ち回りが上手くなく、毎度毎度、原石を見つけては育てるだけという貧乏くじを引かされていた。
 相模原の思うに、「まあいっか!また新たな新人を見つければいいさ!」という、ポジティブというか諦めが早すぎるというか、そんな社長の気質が原因のような気がする。
「さて、どうするか」
 先程買ったタブレットを口に放り込んで、相模原は思案した。片倉は伝票の整理をしている。
「また、親御さんが反対されてるんですか」
「今回は兄貴だけどね。まあ本人も乗り気じゃないし」
 それどころか、全力疾走で逃げられてしまった。しかし、そこが魅力的でもある。
 芸能人なんて基本的には目立ちたがりばかりで、大抵ルックスも標準以上なので、子供の頃からちやほやされるのを当然と考えている人間が多い。性格の良し悪しに関わらず。
 そんな中で頭一つ飛び出るには、何らかの人間的屈折が必要だと、相模原は考えていた。 
 あの少女にはそれがある。
 なんとしても彼女をこの道に引きずり込みたいが、どうすればいいだろう?
(それにしても暇だよな、俺も)
 普通、芸能事務所のマネージャーなんていったら、年に数度の休みも取れない程の激務のはずだ。なのに、この体たらく。
 郷里からはるばる東京に出てきて、こんな所でなにやってんだろう、と今更な疑問が頭を掠めたとき、携帯電話が鳴った。




 

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