TROUBLEMAKER 9 - 10




9 缶詰男、再び

 
 いきなり抱きつかれて、継生は一瞬ぽかんと口を開けて梢を見下ろしたが、すぐに我を取り戻して、彼女の肩に優しく手を置いた。
「なんだ、どうした」
 そう聞くと、何故か梢は弾かれたように継生の体を突き返して、また門の方へ戻った。そして、ガチャガチャと忙しない手つきで閂をかけた。
(一体、なんなんだ)
 継生は煙草を地面に落として靴で踏み消した。戸締りをした梢は継生の方をちらりと見ると、決まりの悪そうな顔で呟いた。
「へ、変な人がいたの」
「変な人?」
 と眉をひそめた途端、ガンガンという鈍い金属音が耳に飛び込んできた。見ると、外にサラリーマンのような格好をした若い男が立っていて、門を叩いているではないか。驚いた継生は仰け反った。
「な、なにをしてるんだ!」
「やだ!!」
 梢が叫んで継生の背中に隠れる。シャツにしがみついて、彼女は声を震わせた。
「こ、この人!さっき私、この人に追いかけられたの!!」
「なんだと!?」
「ほら!昨日スーパーで缶詰を崩した人よ!!」 
「ああっ!おまえは缶詰男!!」
 そう言って指差すと男は、「俺は缶詰男じゃない!」と、必死の形相で否定した。
 しかし、缶詰男だろうがなかろうが、そんなことはどうでもよいことで、継生としては彼が我が家の門を叩く理由が知りたいのである。
「あんた、うちに一体なにをしに来たんだ」
「その子が知ってます」
「梢、知ってるのか」
 と後ろを振り向くが、そこには誰もいなかった。
「あれっ?梢!」
 見れば玄関の引き戸が半分開いていて、三和土には黒いローファーが、梢には珍しく脱ぎ散らかしたように置かれていた。
「逃げられた!!」
 男が悔しげに言う。継生はよっぽど彼の顔に水でもぶっかけてやろうかと思ったが、理性がそれを押しとどめた。大体、彼が梢を追いかける理由を未だに聞けていないわけで。
「だから、おまえはあいつに何の用があるってんだよ」
「それは……」
 男はわずかに逡巡する様子を見せたが、
「言えません」
「わかった、警察に電話する」
 継生がジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと、男はひどく慌てた様子になり、
「それだけは勘弁してくれ!」
 と懇願した。継生は電話を手にしたまま、目をすがめた。
「それなら、理由を言え」
「……これを渡したかっただけです」
 男は持っていた鞄を地面に下ろすと、忙しない手つきで留め金を外した。中から折りたたまれた白い紙を出して、門の格子の隙間から継生に差し出す。
 受け取りながら、継生は眉をひそめた。
「なんだこれは」
「見ればわかります」
 またラブレターなどではあるまいなと警戒しつつ、たたまれた紙を開いてみれば、目に飛び込んできたのは数字だった。2やら3やら4やら色々と。
「見ないで!!」
 いきなり視界の端から手が飛び出して、紙を掠め取った。見ると、いつの間にか戻ってきたらしい梢が息を切らせて、紙を胸に大事そうに抱きしめている。
「な、なんでもありませんから、これは……別に」 
「もう見た」
 紙の正体は通知表だった。途端に梢の目が釣りあがる。
「なんで勝手に見るのよ!!」
「俺には見る権利があるだろ」
「私の許可なしに見るのが嫌なの!」 
「なら聞くが、どうしてその紙をこいつが持ってたんだ?」
 継生がそう言うと、梢は不安げな顔で男の方を向いた。
「えっ……あなたが持ってた?どうして!!」
 男は梢に気でも遣っているようにぼそぼそと言った。
「いや、さっき君が落としていったんだ」
「……嘘!」 
「へー落としたんだ、そんな大事なものをねー。たいしたしっかり者だこと」
 男の言うことを認めようとしない梢を、継生がここぞとばかりに冷やかすと、彼女は苛々と声を荒げた。
「うるさいなぁ!」
「と言う前に、彼に礼を言ったらどうだ」
 継生の指摘をもっともだと思ったのか、悔しそうな顔をしながらも、梢は男に向かって頭を深々と下げた。慇懃無礼と思えるほどに。
「どうも、ありがとうございました〜!」 
「なんだよ、その言い方は」 
「いや、いいんです、そんな」
 取り成すようなことを言う男を、継生は冷たい目で見た。
「あ、そう。それより君ね、昨日の今日で梢の通知表を拾ったなんて、すごい偶然だよなあ?」
「なにがおっしゃりたいんでしょうか」
 男の顔色が険しくなったのを見て、なんて正直な男だ、と継生は思った。
「偶然にしちゃ、でき過ぎてるとおっしゃりたいんですよ」
「……失礼します!」
 強張った声で言うと、男はくるりと背を向けてあっという間に、いずこかへ走り去ってしまった。逃げたことは間違いない。
 先程、男は自分が来た理由は梢が知っていると言っていた。
「梢!!」  
 と、呼んだが返事がない。振り返ると、梢はまた人知れず家の中へ入ろうとしていた。そうはさせじと継生はブラウスの襟を掴んで引き止めた。華奢な肩が怯えたように揺れるので、彼はなんだか自分が悪者になったように感じた。
「なにを怖がってるんだよ」
「べ、別に」
「じゃあ、ちょっとこっちを向け」
「やだ」
「どうして!」
 言いながら無理やり振り向かせると、梢は眉をしかめていつになく硬い表情をしていた。
「……継生ちゃん、私に説教するつもりでしょう」
「はぁ?なんで説教しなきゃいけないんだ」 
 梢の言っていることが分からず首を傾げると、彼女の顔には見る見るうちに安堵の色が広がった。
「あ、そうなんだ……そっかそっか」
「……」
 継生は黙ったまま、梢が手に持つ通知表を見やった。おそらくあれの中身のことで、梢は説教をされると思ったに違いなかった。だが、それはまた後で話せばよいことで、とりあえず今はあの男の話だ。
「俺が聞きたいのは、さっきのヤツのことだよ」
「うん……」
 あまり気乗りのしない様子で、梢は一枚の名刺をスカートのポケットから取り出すと、継生に差し出した。


10 女からの電話とアダルトビデオ

 継生は黙っている。
 涼しい目元は名刺をじっと見つめていて、しかしそれとは裏腹に名刺を持つ指には妙に力が込められていた。
 こんな様子の継生の傍にいることが得策ではないことくらい梢は知っていたし、魂も蒸発しそうな炎天下の庭にいたくもなかったが、先程引き止められたばかりで、ここで逃げ出したら余計にややこしくなると予想できたので、視線を地面にさまよわせつつ、おとなしくしていた。
 やがて継生は名刺から目を上げた。かと思うと、ライターを出した。それだけでなく火をつけた。その上おまけに、彼は名刺に火を移した。
「あっ!」
 目を見開く梢の前で、またたく間に名刺は灰と化して、風に乗ってどこかへ飛んで行った。相模原の深刻そうな顔が胸を過ぎり、少しだけ彼が気の毒に思えた。
 継生はぞんざいな手つきでライターをしまった。 
「あんなもん信用できるか」
「私だって信用なんてしてないわよ、別に」
 相模原の言葉に一瞬でも喜んだ後ろめたさから、梢の声は硬くなった。彼女だとて、それほど夢見がちなわけではないが。 
「こんな怪しげなスカウトに着いていったら、どんな目に遭わされるかわかったもんじゃないぞ」
「どんな目に遭わされるの?」
 梢としては純粋な興味から聞いたのだが、何故か継生は狼狽したように顔を赤らめた。
「ど、どんな目って……そりゃ……」
「ああ、何か変な物買わされるとか?」
「いや、まあ……そういうのもあるかもしれないけど」
「それ以外ならどんなものがあるの?」
「えっ、それ以外?」
 ますます継生がうろたえる様子を見せたとき、突然、傍の生垣からにゅっと何者かの手が突き出た。
「わっ!」
 驚き飛び上がる梢の前に更に突き出されたのは、今度は顔だった。
「やあどーも、お二人さん。こんな暑い日に逢引でもしてるんですか」
 ちぎれたヒバの葉のついた顔の正体はアシスタントの相原で、日焼けで赤くなった色白の顔にへらへらと暢気な笑みを浮かべている。継生は彼の額をぺちぺちと手の甲で叩いた。  
「何しに来たんだよ、おめーはよ」 
「用がなきゃ、来ちゃいけません?」
 ずぼっと顔を生垣の外へ引っ込めると、相原は門の方へ回り、あろうことか身長程も高さのある門をよじ登り飛び越えて、中へ入ってきた。まるで猿の如き身の軽さである。
 継生は腰に手を当ててため息をついた。
「呼び鈴くらい鳴らしたらどうだ」
「僕と継生大先生の仲じゃないですか!」
「ところで、そのすごい荷物はなんですか?」
 梢は、相原が背負っているリュックサックを指差した。あまり大きくないそれは、破裂寸前といった感じでボコボコに膨れ上がっている。
「あっ、これ?お土産!」
「なんだ、土産って」
「そりゃ干し椎茸ですよ〜」
 それを聞いた梢の顔は知らず引きつった。相原の実家は椎茸農家で、しばしば大量の干し椎茸を送ってくる。
「それ全部ですか?」 
「もちろん!」
 そう言うと、相原は勝手に引き戸を開けて、勝手に玄関へと入っていく。挙句、この家の住人である梢と継生に向かって「早く早く!」と手招きまでする始末。
「何様のつもりだ、あいつは」
「相原サマ」
「よせよ、すぐ図に乗るんだから」
 しぶい顔をする継生だが、本当のところは相原を可愛がっていることを、梢は知っていた。

 古い作りのこの家は風が良く通るので、猛暑である今年の夏でも扇風機一台動かせば事足りる。
 三人分の麦茶を盆に乗せて梢が居間に入ると、ソファーに向かい合わせに座った継生と相原が何やら言い争っていた。
「ちったあ、こっちにも回せよ!」
「これ壊れてて回らないじゃないですか。大体少しくらい独り占めしてもいいでしょ」
 声を荒げる継生を気にする様子もなく、扇風機の前に陣取った相原は顔を近づけて「あ〜〜」と声を出した。
「僕、アパートからずっと外を歩いてきたんですから」
「頼みもしないのに、勝手に来たんだろうが」
「あっ、ひどいなあ、その言い方。わざわざお土産を持ってきた僕の好意を足蹴にする気ですか」
「押し付けがましいヤツだな」
 放っておけば、二人は不毛なやり取りをまだ続けそうだったので、麦茶を座卓に置いた梢は扇風機を相原の前から、継生の傍に移してやった。
「そんな殺生な、梢ちゃん」  
「バカ、梢は俺の味方って百年前から決まってるんだ」
「別に味方ってわけじゃなくて、継生ちゃんが一番歳食ってるからよ」
「あー、なるほどね」
「どういう意味だよ、それは!」
 梢と相原はちらりと視線を交わした。
「年寄りはぁ」
「暑さに弱い!」
 そう言って笑う二人に、継生は明らかに不機嫌な顔になった。
「どうせ俺は来年、三十だよ。……悪かったな!でも、おまえらだっていずれ通る道なんだぞ!誰にだって三十路はやってくるんだ!!」
「そんなに向きにならないで、継生ちゃん」
「誰も向きになんて、なってない」
「でも目が血走ってるわ」
「寝不足なんだよ!」
 そう継生が反論したとき、廊下の方から「プルルルル」という音が聞こえた。
「電話だ」
「先生の彼女じゃないの?」
「家電には掛けるなって言ってあるし」
「ねえその女誰なのよ、センセ。アケミさん?サユリさん?」
「アケミでもサユリでもない」
 二人の会話を背中に聞きながら、梢は廊下へ出て受話器を取った。
「はい」  
『あのぉ、あたしぃアユっていうんだけど〜継生クンいますかぁ』
「……少々、お待ちください」
 受話器から流れてくる甘ったるい声のせいで、梢の眉間には自然と皺が寄ってしまう。
「継生ちゃん、電話!」
「だれ」
「あたしぃ、アユっていうんですけどぉ〜っ!!ていう人」
 受話器の向こうに聞こえるように大声を出すと、継生は血相を変えてすっ飛んできた。
「やめろ!」  
「今度の女は馬鹿ね」
「でも、おまえなんかより、ずうっと可愛げがあるけどな」
 嫌味で応酬した継生はひったくるようにして、梢から受話器を取った。
「あ、俺だけど。いや、今の妹……性格悪くてさ、あいつ」
 梢は継生の向こう脛を蹴ってやった。 
「ってぇ!!……な、なんでもないよ、あはは」
 電話口でごまかしながらも、継生は梢を恐ろしい目付きで睨んだが、彼女は怯まず、ふいっと顔を背けて居間へ戻った。
 梢が戻ってきたことに気が付くと、ソファーに寝転がっていた相原は勢いよく飛び起きた。
「あーっ、まずいよ梢ちゃん!皺が寄ってる!!」
「……え?」
「ここ、ここ!」
 相原は真剣な顔で自らの眉間を指差した。
「せっかくの可愛い顔が台無しじゃん!」
「はあ」
 なんだか毒気を抜かれて、梢の顔からは自然と険しさが消えた。どさりとソファーに腰掛けると、一つ息をつく。
「相原さんって相変わらず変なの」
「全然、変じゃないって」
 そう言って麦茶を呷る相原につられて、梢もグラスに手を伸ばした。その表面は冷たく濡れていた。
「珍しいね、梢ちゃんが先生の彼女のことで嫌味言うなんてさ」   
「……うん」
 梢は生返事だけをして、座卓に映るグラスの影を見つめた。
 本当はあんなこと言いたくなかった。あんなことだけは言うまいと、今まで気をつけていたのに。
「今まで我慢してたんでしょ、梢ちゃん」
「……」
 気持ちを言い当てられて、梢は相原の顔を思わず見返した。彼の大きな目には迷いがないように思える。
「我慢することないと思うよ、僕は」
「そうかなぁ」
「あの人にはねー」
 と、相原は廊下の方へ顎をしゃくった。
「ガツンと言ってくれる人が必要なんだよ。変な女と付き合うな!ってね」
「それが私ってこと?」
「そのとおり!てかさ、ね、梢ちゃんしかいないんだから、先生にダメージ与えられるのは」
「相原さんは?」
「全然ダメだって。傷、残せないからさ、僕は」
「私、傷なんて残すつもりないけど」
「つもりがなくても、もうぎったんぎったんに先生に色々傷つけてるよ、きっと」
 梢は頬杖をついてしばし考えたが、相原の言っていることの意味はよく分からなかった。と、突然あることを思い出した。
「ねぇ、相原さん。もし街中で怪しい人にスカウトされたら、何が目的だと思う?」
「ああ、AVとか?」
「AVって……」
「そりゃーもちろんアダルトビデオでしょ。ほとんどはそういう勧誘だって聞くけど」
「ああ、なるほど」
 だから先程、継生は妙な反応を示していたわけだ。「なにあのスケベ」と思いつつも梢が納得していると、相原が「そういえば」とグラスを指先で弾いた。
「僕の友達にも、スカウトの仕事してるヤツがいるんだー」
「それって、その……エーブイ関係の……」
「違う違う!ちゃんとした芸能事務所で!」
 梢の勘違いに、相原は苦笑いした。
「まあ、すごい零細企業なんだけどさ。なんていったかな、ナントカ企画とかなんとか」
「……横浜企画とか?」
 ぼそりと呟いた梢に、相原は手を叩いた。
「あっ、それだ!横浜企画!」
「ええっ?」
「なんでそんなに驚くのよー」
「まさか……」
 まさか、そんな偶然があるはずがない。そう思いながらも、梢は口に出していた。
「そこに相模原って人、いません?」
 相原の大きな目は、更に大きく真ん丸になった。
「どうして、祐介のこと知ってるの?」

 


 

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