TROUBLEMAKER 7 - 8 7 ある男の憂鬱 その日、相模原祐介は疲れきっていた。いや、いつだって彼は疲れていた。考えてみれば、物心のついたときから、「疲労」の二文字が背中につきまとっていたような気さえしてくる。 とりあえず、今現在の相模原が疲れている理由は仕事にあった。だからといって多忙なわけではなく、むしろ暇過ぎるくらいで、そこにストレスの根本的な原因がある。 要するに、仕事に対して意欲が湧かない。 「はあ……」 我知らずため息は零れる。人は相模原を暗いだの陰気だのと言うが、彼だって好きで暗い男をやっているわけではない。 (性格なんだよな、俺……ホント俺って暗いとしか……言いようがないというか……) 考えていることも暗い。 どれだけ疲れていても暗くても陰気でも腹は減る。というわけで、相模原は今「スーパーニコニコ」なるスーパーマーケットの中を歩いていた。 手に持つカゴの中にはインスタント食品ばかりが入っている。 「……どこに何があるかわからない」 思わずぼそりと呟いた。このスーパーは最近棚の配置換えをしたようで、久しぶりに来た相模原は戸惑ってしまう。 (素のままのラーメンだけっていうのも味気ないし、玉子が欲しいんだよなぁ) ふと、すぐ傍の柱に貼り付けてある鏡に自分が映っていることに、相模原は気が付いた。 (俺、結構いい顔してると思うんだけど) 確かに彼は客観的に見ても、「男前」の部類に入る顔立ちをしていた。目鼻立ちがはっきりしていて、少し陰のあるいい男といった感じか。だが、いかんせん漂う雰囲気が暗すぎる。だからなのか女性にはもてない。 ますます疲れた気分になりつつ、商品棚に挟まれた通路を進んでいくと、目当ての玉子をようやく見つけた。 玉子見ーっけ!とばかりに少し弾んだ足取りで、相模原はその棚へ向かった。もう彼の目には玉子しか見えていなかった。だがそこで、突然の不幸が彼を襲った。 「あーら、ごめんなさい」 「えっ……わ、あ!?」 一人の主婦らしき女性が左腕にぶつかったかと思うと、相模原の体はぐらりと傾いた。そして今度は右腕が何かに当たる。ガラガラガラと物が床に落ちる音。「あらら……」と誰かが言う声が聞こえた。 彼は山と積まれた缶詰を崩してしまったのだった。 「……!」 慌ててしゃがみこみ転がった缶詰を拾う。恥ずかしくて死にそうだと思っていると、横からすっと手が出てきて、相模原と同じように缶詰を拾った。見れば、十代と思しき若い少女である。どうやら元に戻すのを手伝ってくれるようで、相模原は頭を下げた。 「あ、ありがとうございます」 「いいえ」 と彼女は一言だけ返して、黙々と缶を積み上げていく。相模原も負けじと(?)缶を拾い集めた。 「なにやってんだよ」 不意に背後で声がした。自分が声を掛けられたのかと思った相模原が仰ぎ見ると、そこには一人の若い男が腕組みをして立っていた。 「ほら、継生ちゃんも拾って!」 少女は男の腕を掴んで引っ張った。彼女の知り合いらしく、男は渋々といった感じで缶に手を伸ばす。ふと、彼は相模原のことを申し訳なさそうに見た。 「すみませんね、こいつが迷惑をかけて」 男は勘違いしている。相模原は決まりが悪くなった。 「いや、俺が崩したんで」 「あー……そりゃ失礼」 「バカ!」 少女に肘で小突かれた男は「なんだよぉ」と目を泳がせた。 (仲がいいんでやんの) この二人がどういう関係なのかは分からないが、正真正銘一人身でお寒い身の上である相模原は少し妬ましく思った。 しばらくすると店員がやってきて、「こちらで直します」と言ってくれたが、そのときには既に三人でほとんど積み上げていた。 相模原は改めて彼らに対して礼を述べた。 「どうも……助かりました」 そのとき相模原は初めて少女の姿をはっきりと見たのだが、彼女は綺麗な娘だった。身長はそれほど高くないが、手足がすらりと伸びやかで若々しい。 「いいえ、困ったときはお互い様ですから」 そう返事をしたのは彼女ではなく、男の方だった。少女は彼の隣で小さく会釈をした。 二人が去ったあとも、相模原は彼らの消えた方向をぼんやりと見ていたが、やがてはっと我に返った。 二十四歳にもなって、行きずりの少女にうつつを抜かしている場合ではない。 足元に置いてあったカゴを手に取り、レジへと向かう。 (でも、あの子……) 少女の面影を脳裏に思い描くと、胸が奇妙に熱く疼く。その感覚の正体が何かを相模原はよく分かっていたが、ここで即行動を起こすのは早計だった。明日の朝起きて、まだ彼女が忘れられなかったら、この勘は当たるかもしれない。 燻っている今の自分に道を示してくれるかもしれない。 「……よし」 そうとなれば、まずはやることがある。 手早く会計を済ませた相模原はスーパーを出て、出入り口近くの暗がりに身を潜めた。あの二人が出てくるところを決して見逃さないように目を凝らす。 ――少女の家を突き止めるために。 8 不審者登場 ひどく暑い日である。白い光が頭上から降り注ぐ中を、明日から始まる夏休みに想いを馳せつつ、梢は家に向かって歩いていた。 (ああ、どんどん水分を消費してるわ、私……) 制服の白いブラウスの下で汗がひとすじ、ふたすじと流れていく。 「や、やあ!」 出し抜けに一人の若い男が梢の目の前に現れた。暑さにぼんやりとしていた梢は咄嗟に声が出ず、黙ったままその男の顔を見つめた。 黒いスーツに身を固めた彼は、短い髪を整髪料で軽く立たせていて、くっきりとした二重の目が、その顔に妙に深刻な雰囲気を与えていた。ハンサムだった。が、性格は暗そうだ。 どこかで見たことのある顔だが、思い出せない。しかしここで「誰ですか」とはっきり口に出して聞くのも失礼かもしれないわけで、かといって黙ったままでいるのは、もっと礼に失することではないかと逡巡した結果、梢は曖昧な笑みを浮かべるという、極めて日本人的行動をとった。 梢の笑顔に力を得たのか、男の目は輝いた。 「覚えててくれたんですね、僕のことを」 「あの、その……」 ――誰だ誰だ誰だ!? 曖昧に返事をしながら、梢は脳を必死に回転させた。と、突然天啓でも下ったかのようにパッと記憶の靄が晴れた。 「ああ!スーパーの缶詰の!」 「昨日はどうもお世話をかけまして」 男は慇懃に頭を下げた。つられて梢も頭を下げたものの、どうして彼が自分に声を掛けてきたのかが分からず、戸惑った。 「あの……」 「いきなり声を掛けたから、びっくりしましたよね」 「はあ」 「実は、僕こういう者でして……」 男は背広の内ポケットから紙を一枚取り出して、梢に渡した。それは簡素な黒いゴシック体で印刷された名刺だった。 「横浜企画……」 「相模原と言います」 「あ、どうも」 二人はまた揃って、ぺこぺこと頭を下げ合った。 「うちの会社は芸能人のマネージメントをやっているんですが」 「芸能人?」 その芸能人の会社の人間が自分に一体何の用だろうと、梢は訝しく思った。そんな彼女に気が付いたのか、相模原は少し早口で言った。 「別に僕は怪しい者じゃない。君をアイドルとしてスカウトしたいんだ」 「え!……わ、私を?」 梢は驚いたが、相模原は至って真剣な顔をしていた。真剣過ぎて怖いくらいだ。 「そう、君には何か光るものがある」 「光るものが……」 陳腐とも言えるような言葉だったが、梢は今まで男性からそんなことを言われたことなどなかったので、なかなか胸にときめくものがあった。 しかし、そこで簡単に乗せられるほど、彼女はおめでたくも幸せでもない。 「またまたぁ」 と、少し冗談めかして言った梢だったが、相模原に「俺は本気だ!」と一喝されてしまい、正直慄いた。 「で、でも私なんて何の取りえもありませんし」 「そんなことはない、俺にはわかる。君のその地味さ加減は貴重なものだ」 「地味!?」 「いい意味で言っているんだ。とにかく君は可愛い顔をしているし、多分売れる!いや、絶対に売れるはずだ!!」 何の根拠も無さそうなのに大声で言い切る相模原が、梢にはいよいよ不気味に思えてきて、数歩後ろへあとずさった。すると相模原は数歩前に出た。梢はまた数歩あとずさった。しつこく相模原がまた前に出た。 そんなことを繰り返しながら、二人の距離は中々縮まらなかったが、先手を打ったのは梢で、彼女は不意に体の向きを変えると、よーいドン!とばかりに猛烈ダッシュをかけた。 「あ!ちょっと!!」 相模原が何か喚いているのが聞こえたが、だからと言って止まるわけがない。梢は鞄を振り回すようにして、家へ向かって走り続けた。 (追ってくるなよ〜!) ようやく我が家が見えてきた。生垣をぐるりと回って門に飛びつき中へ駆け込むと、呆気に取られた顔の継生が出迎えた。彼は右手に煙草を持っていて、どうやら庭で一服中だったようだ。 「継生ちゃん!」 梢は継生に駆け寄り、その体にガバッとしがみついた。 ← → novel |