TROUBLEMAKER 5 - 6 




5 脱がないで!


 家族は二人しかいないし、一人は仕事で忙しい。そうなると必然的に家事が回ってくるわけで、食事を作るのはいつからか梢の役割と決まっている。
 神奈川から借りた本を半分程読んだところで栞を挟み、梢は部屋を出た。
 彼女の部屋は縁側を挟んで庭に面している。近頃はすっかり日が長くなり、どこからか子供の遊ぶ声が聞こえてくる。五時を過ぎた今でも外はまだ明るいが、吹く風はだいぶ涼しくなっていた。
「よいしょっと」
 梢は縁側から庭へ下りた。継生は玄関を使えとしきりに言うが、それなら何故ここに彼のビーチサンダルが置いてあるのか。
(自分だって、ここから出てるんじゃないねー)
 先日買ったばかりの下駄をつっかけて門へ向かおうとすると、後ろから声を掛けられた。
「どこか出かけるのか」
 継生だった。シャワーを浴びたのか、先程とは違って彼はさっぱりとした顔をしている。髪もぼさぼさではないし、眼鏡も外してコンタクトにしているようだった。
 だが相変わらずボロいジャージを履いているのはどういうこったと、梢には継生のこだわりがよく理解できない。
「夕飯の買い物に行ってきます」
「あ、それなら俺も一緒に行くわ」
「なんで」
 と、梢がすかさず聞き返すと、継生は顔を強張らせた。
「俺が一緒に行ったら、嫌なのか」
「いや、そうじゃなくて……単純になんでだろうと思っただけ」 
「なんだそういうことか。つーか散歩だよ、散歩。ちょうど涼しくなってきた頃だろ」
「それなら、そのジャージ脱いでくださいよ!」
「えっ、これを脱げって?まあいいけどさー」
 継生は何故かニヤニヤと笑った。かと思うと腰に両手をやり、一気に下へ……。
「なにやってるのよ〜!!」
 梢は思わず悲鳴を上げた。
「ここで脱がないでよっ!!」 
「おまえが脱げって言ったんだろ!」
「着替えてきてっていう意味に決まってるでしょ!?」
「へーへー、仰せのままに」
 膝まで脱ぎかけたジャージを履きなおして、継生は家の内へ早足で引き返していった。
「なにを考えてるんだ、まったく!」
 梢は一人顔を赤らめた。このようなセクハラ親父っぷりを、継生に惚れている女たちに、見せてやりたいものである。それでも、きゃあきゃあ騒ぐだろうか。


6 継生ちゃん、梢について思うこと

 ジーンズに履き替えた継生が縁側まで戻ってくると、梢は庭の緑にホースで水をやっていた。白い半袖のブラウスに藍色のスカートが涼しげで、彼女によく似合っている。 
(なんか……大人になったみたいだ)  
 継生はふとそんなことを思った。毎日一緒に暮らしているとよく分からないが、改めて見てみると、梢はいつの間にか随分と成長しているようだった。
 背も伸びた、おまけに髪も背中の辺りまで大人っぽく。体つきだって棒みたいに痩せていたはずなのに、今では幾分ふくよかになってきた。
(なにを考えてるんだよ、俺は)
 継生は急に恥ずかしくなった。女性を品定めするような目で梢を見たことに、どうも罪悪感を覚える。
「あ、やっと来た」
 こちらに気が付いた梢は継生を振り返った。それと同時にホースも一緒に向けられた。水はもちろん出しっぱなしで。
「わっ、バカ!」
 足元に水が掛かった継生が咄嗟に飛び退るのと同時に、梢は慌てたようにホースを後ろへ投げた。蛇口をだいぶ開けていたらしく、それは水を放出しながら、とどめを刺された蛇のように地面でのた打ち回った。
「なんで離すんだよっ!」 
「だ、だってぇ」
 梢は叱られた子供のような顔をした。
「いいから、早く水止めろ!」
 そう言いながらも、継生は自分で蛇口に向かって走った。

 結局、二人とも足元を濡らしたままで外に出た。
 ジャージとホースの件で時間を食ったせいか、明るかった空は既に暮れかかっていた。
 カランコロンと妙に郷愁を誘う音がしているなと思ったら、隣を歩く梢の履いている下駄の音で、それはどうやら新しく買ったものらしかった。
「相変わらず渋い趣味してるよな、下駄なんて」
 継生はぼそりと呟いたが、梢には聞こえなかったようで、彼女は前方の赤い信号をじっと見据えていた。
(そう渋いんだ、こいつは)
 歳の割りに。服の趣味も小物の趣味も。好きな雑誌は週刊新潮、作家は藤沢周平。この辺親父趣味と言った方が近い。
 要するに――若さが足りない。
「なにか言った?」
 急に梢が口を開いた。先程の言葉は聞こえていたらしい。
「趣味が年寄りくさいねーって言ったんだよ」
「なんの趣味」
「その下駄。そして、その服。あとその買い物カゴも」
 梢はムッとした顔をして、シンプルな籐のバッグを胸に抱いた。
「買い物カゴじゃありません」
「よく漫画とかでオバサンがそういうの持ってるじゃん!」
「全然違う!」
 買い物カゴで継生の背中をはたくと、梢は駆け足になり、数メートル離れた先に行ってしまった。機嫌を損ねたようだが、継生は別にそんなことは構わない。むしろ、
(ああやって、怒った顔が可愛い)
 などと思っていて、シスコンと言われるのも無理はないのだから、まあ、おめでたい男であった。

 

 


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