TROUBLEMAKER 3 - 4 



 
3 梢の回想

「梢が遅刻するなんて珍しいな!」
 一時間目が終わったところで、友人の矢部睦美が話しかけてきた。梢は教科書をしまいながら、肩をすくめた。
「継生ちゃんがうるさくて」
「また、締め切り前で大騒ぎ?」
「まあ、そんなところかな」
 今朝の様子を思い返して、やれやれとため息をつきたくなった梢だったが、実際にため息を漏らしたのは、睦美だった。
「にしてもさ、継生さんってカッコいいよね。この前、駅前で見かけたんだけど」
「顔だけが自慢の人だからね」
 梢は冷めたものである。睦美は唇を突き出した。
「この、贅沢もんがー。あんなにイケメンの兄貴なんてないよ、普通」
「何度も言うけど、モテ過ぎる家族を持つのって、結構大変なんだから」
「ああ、振られた彼女が包丁持って、家まで押しかけてきたってヤツ?」
 睦美は笑い話のように言うが、実際、そのときのことは未だに忘れられない。言い争う継生と女の声を背中にしながら、110番を押す指の震えの凄まじかったことよ。
 修羅場というのは、ああいう状況のことを言うのだ。
「それでもいいから、うちの兄ちゃんと取り替えてほしい!」
 睦美は完全に継生の美貌に惑わされている。これだから、継生がますます付け上がるのだと、梢は少し苦々しく思った。
「そういうこと、継生ちゃんの前で絶対に言わないでよね」
「い、言わない言わない!」
 軽く睨んだだけだったのに、睦美は思った以上に慄く様子を見せた。
「なんでそんなに怖がるのよ」 
「だって、すごい目付きが怖いんだもん」
「誰が!」
「ああ、今の言い方、継生さんと似てるー!」
「似てない!」
「似てる似てる!梢と継生さんって顔は全然似てないけど、そういう雰囲気みたいなのは似てるところあるよ」
「……ふーん」
 梢が睦美から目を逸らすと、キーンコーンカーンコーンと、鐘が鳴った。
「おう、戻らなきゃ」
 睦美はガタガタと周りの机に当たりながら、戻っていった。何かと落ち着きの無い友人なのだ。 
(顔は全然似てないけど、か……)
 次の授業の用意をしながら、梢はなんとなく、先ほどの睦美の言葉を思い返した。
 顔が似ていないのも当たり前で、何を隠そう、梢と継生は血が繋がっていなかった。ついでに戸籍上の繋がりもなく、言ってみれば赤の他人で、梢の苗字は「町田」、継生の苗字は「成瀬」なのである。
 なぜそんな赤の他人である二人が、一つ屋根の下で家族として暮らしているのかと言えば、そこにはこんな理由がある。
 継生の生家と梢の家は、元々遠い姻戚関係にあった。継生は幼少のみぎりから神童と呼ばれるような賢い子供で、家人からの期待が高かったのだが、いかんせん家が田舎の山奥だった。そこで、継生の両親は東京の梢の家に目を付け、彼を東京の学校に進学させるために下宿させてくれるように頼んだ。人の好かった梢の両親はそれを快諾し、継生は梢の家で暮らすようになった。継生が十五歳、梢が三歳のときのことである。
 その七年後、梢の両親が不慮の事故で亡くなっても、継生は家を出て行くことはしなかった。親戚連が揃いも揃って、梢を引き取ることに難色を示したことに腹を立てて、「俺が育てる!」と葬式の席で啖呵を切ったのだった。
 彼は当時まだ大学生だったが、すでに漫画家として収入を得ていたことは幸いだったと言えた。
 とまあ、そんなこんなで、梢と継生は家族として暮らしているわけである。
(だから本当は、継生ちゃんには頭が上がらないのよね)
 人間としては少しだらしないところのある継生だから、日頃バカにしたような口を利いてしまうこともある梢だが、感謝の気持ちは抱いている。父母が死んだときに、ずっと傍にいてくれた温もりは絶対に忘れない。
(でも、あの女性関係だけは何とかしてほしいけど)
 梢は小さく笑みを浮かべて、ノートを開いた。


4 今時の若者について語る

 継生はバリバリと頭をかいた。三日間風呂に入っていないせいか、痒い。テーブルの向かいに座るワイシャツ姿の若い男は涼しげな顔をしている。「週刊ラッシュアワー」担当編集者の神奈川だ。
「いい男が台無しですよ、先生」
「ほっとけよ。真面目に仕事してる証拠だろうが」
「風呂に入る時間くらい作れるでしょうに」
 そう呟きながら、神奈川は再び原稿に目を落とす。「一枚二枚……」と枚数を数えて、やがてとんとんとテーブルの上で端を揃えた。
「うん、ちゃんと揃ってますね。お疲れ様です」
「はいはい、お疲れ」
 ソファーの肘掛に凭れかかって返事をする継生には目もくれずに、神奈川はどこか落ち着かない様子で、庭に目をやった。夏の強い日差しが、切絵のような黒い影を地面に作っている。シャツの襟元で扇ぎながら、神奈川は言った。
「梢さんは、まだ帰ってこないんですかね」
「なんで」
「……なんで、とは?」
「なんで、そんなことを気にするんだ」
 継生の声は自然と突っ慳貪どんなものになった。どいつもこいつも、梢のことを口にするのはどういうことなのか。
「いや、梢さんに本を貸す約束をしていたんです」
 神奈川は原稿を入れた封筒を丁寧な手つきで鞄にしまい、それと入れ替えにあまり厚みのない新書を取り出した。
「読みました、これ?国民の品格っていう」
「……」
「最近のベストセラーなんですよ」
「読んでない」
「ああ、先生は推理もの以外、読まないんでしたっけ」
 パラパラとページを捲る神奈川は、美男子と呼んで差し支えない容姿をしている。
(まあ、俺には適わないがな……)
 ふっふっと、いつもの悪い癖で継生は小さく笑った。本当のところ、今の継生は壜底メガネと破れたジャージ着用なので、どうみても負けていたのだが。
 神奈川は訝しげな顔で本から目を上げた。
「なにか?」
「いや、別に」
 ふいと彼から目を逸らすと、玄関先の門が軋む音が聞こえた。
「お待ちかねの梢様が、帰ってきたみたいだぜ」
「ああ、間に合って良かったです」
 と、神奈川は継生の皮肉めいた言い方に引っ掛かる素振りも見せず、本を手にして、椅子から立ち上がった。彼が縁側まで出て行ったところで、ちょうど梢が姿を見せた。
 継生は寝不足の体をソファーに投げ出した。神奈川は、聞いている方が恥ずかしくなるくらいに弾んだ声を出している。
「やあ、お帰りなさい」
「あ、こんにちは」
「これ、この間言ってた本なんだけど……」
「え?本当に持って来てくれたんですか、ありがとうございます。……ただいま!」
 突然梢が大声を上げたので継生は驚いたが、自分に言っているのだと気が付いて、起き上がった。
「おかえり!」
「継生さん、いい加減、ちゃんとした服に着替えたら?」
 靴を脱いで縁側に上がりながら、梢は早くも継生にケチをつけた。だが、彼にだって言いたいことがある。
「梢さんこそ、いい加減、ちゃんと玄関から入ったら?」
 彼女はいつも庭から直接家に上がってくる。継生が何度注意しても直らない。
 梢は神奈川の方をちらりと見て、少し恥ずかしそうな顔をした。
「ちゃんと靴は片付けてますし」 
「そういう問題じゃなくて、行儀が悪いつってんだよ」   
「継生ちゃんに言われたくないよねぇ」
「二人とも面白いなあ」
 神奈川がいきなり笑い出したので、二人は喋るのをやめた。お互いに気まずい視線を交わす。
「相変わらず、いい掛け合いですね」 
「なんだ掛け合いって。漫才師か、俺たちは」
「そうそう夫婦漫才みたいなね」
「夫婦じゃねえし」
「じゃあ、あにいもうと漫才で」 
「んなもん聞いたことない」
 愛想のない返事をする継生の横を、ローファーを手にした梢が通り過ぎた。
「神奈川さん、それじゃこの本お借りしますね」
「ああ、どうぞどうぞ。お好きなだけ持っててください」
「どうも」
 神奈川の言葉に、梢はにっこりと微笑んだ。継生から見れば、嘘臭いことこの上ない笑顔である。
 梢が部屋を出て行ったのを確認してから、継生は呟いた。
「あんな笑い方、どこで覚えてきたんだか」
「いやあ、可愛いじゃないですか」
 何も疑っていないらしい神奈川。継生はまたぞろ面白くない気分になってきた。
「……おまえ、梢に対して何か良からぬ気持ちでも持ってるんじゃないだろうな」
「えっ?」 
 不意打ちを食らったように神奈川は目を見開いたが、やがてそれは笑みを含んで細められた。
「もしかして僕が手を出すんじゃないかと、心配してるんですか?」
「悪いか、心配したら」
「いえいえ、兄代わりという先生の立場とすれば当然のことです」
 神奈川という男は全く如才がない。
「でも僕に関して言えば、それは取り越し苦労というものですね」
「その割りに、梢に会うときは随分と嬉しそうな顔してるよな」
「それは梢さんが今時珍しいような良い子だからですよ」
(猫被ってるんだよそりゃ)と、継生は言おうかと思ったが、やめた。
「近頃の女子高生ってみんな怖いじゃないですか、なんか」
「ああ、ヤマンバみたいなのとか」
「ヤマンバ!?また懐かしいのが出てきましたね」
「……悪かったな、古くて!」
「まあまあ。そういうことじゃなくてですね、今の十代の子ってどこかすれてるでしょう」
「うーん……」
「子供のくせに、世の中を知ってる顔してるというか」
「それは分かるような」
「そういう感じが梢さんには無いんですよね。素直ですよ、反応が。それが僕には嬉しいといいますか」
 しみじみと言う神奈川に、継生は呆れた。
「何をおっさんみたいなこと言ってるんだよ。俺よか若いくせに」
「二歳差くらい、最近じゃあんまり違うと感じませんよ」
「そういうこと言ってると、本当に老けちまうぞ」
「いいんですよ。僕、昔から老けてますから」
 神奈川は鞄を持ち、白い帽子を頭に乗せた。つば広のそれは些か古臭いデザインで、継生は笑った。
「なんだ、その帽子」
「名探偵みたいで、いいでしょう」
 それじゃと少し得意げに笑って、神奈川は去って行った。
(変なヤツ……)
 心中で呟くと、継生は再びソファーに寝転んだ。
 外では蝉が光のシャワーとばかりに、大合唱している。



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