TROUBLEMAKER 33 - 34




33 ダーリンは十七歳

 神奈川の後釜として、継生の担当になった編集者は、大口という男だった。名は体を表すという言葉の通りに、彼は口が大きかった。そして口だけでなく、体も大きく、背は一メートル九十を超え、胴回りも太くて、まるでプロレスラーのような外見をしていた。
 その大口がにやにやと似合わない笑みを浮かべて、今、継生の目の前にいた。
 巨体のせいで、ソファーの形が変わってしまっている。
「先生の作品で、ダーリンは十七歳っていうのがありますよね」
 大口の言葉を聞いた瞬間、継生は顔に血が上るのを感じた。
 ダーリンは十七歳。
 このタイトルだけで、もう恥ずかしい。
 まだ漫画家としてデビューしたばかりで、ろくに意見も通らなかった頃に、編集の意向で強引に描かされた作品だった。
 ストーリーも何もあったものではない。十七歳の男子高校生と、二十五歳のOLが、ただ毎回乱れた性生活を繰り広げるという、成人指定ギリギリの話である。
 はっきり言って、継生にとっては消したい過去だが、未だに印税が入ってくるのも確かで、あまり悪口も言えない。しかし、かと言って決して誇れる仕事でもないので、なるべくなら思い出したくなかった。
 継生はこめかみに手を当てた。
「あるけど、それがなに」
「実は、今度あれをドラマ化したいという話が出てまして」
 大口は嬉しそうな顔をしているが、継生は呆れた。
「嘘だろ」
「本当です。今はドラマと言ったら、まず原作ありきですから。どこのテレビ局もいい作品探しに躍起になってるんですよ」
「だからって、あれをドラマ化するなんて、正気の沙汰とは思えないね」
 継生は己の描いた物だということも忘れて、捲くし立てた。
「あんなもん公共の電波で流したら、PTAから何言われるか分かったもんじゃねえ。有料チャンネル行きだ、あんなの。AVだって言うなら、理解できるけどな」
「そりゃもちろん、あのままの内容で放映できるわけありませんよ」
 大口は苦笑いを浮かべた。
「内容は大幅に改変させてもらいます。あちらさんの話によれば、スケベは無くして、ラブコメディにしたいらしいので」
「スケベは無し!?」
 継生は眉をひそめた。
 あの駄作から性的要素を抜いたら、一体何が残るというのか。いや、何も残りはしない。あれは青年誌だからこそ連載できた、実用第一の作品なのである。
 そこまでして、あの漫画を使おうとする理由は一体何なのだろうと、継生は疑問に思った。
「ラブコメなら、他にいくらでもあるだろうが」
「そこに裏事情があるんですよ、先生」
 悪代官に取り入る越後屋のように、大口はにやりと口端を上げた。
「ああいうドラマっていうのは、もう使う俳優が決まってるらしくて、今回は……ここだけの話ですけどね」
「誰なんだ」
「他言無用でお願いしますよ」
「わかったから、早く言え」
 勿体をつける大口を、苛々と促すと、彼は声を潜めて言った。
「南野ユカと、藤沢尚樹だそうです」
「南野ユカ!」
 継生は信じがたい思いで、人気女優の名前を繰り返した。
「本当に、あの人にやらせるつもりなのか?」
「原作がダーリンは十七歳になってもならなくても、もう二人が主演するのは決まってるみたいですよ」
 主演ということは、当然、南野が淫乱OLの役をやるのだろう。
 南野ユカといえば、清純派の代名詞のように扱われている女優である。そんな彼女にとって、あのキャラクターを演じることは、イメージダウンにこそなっても、益があるとは、継生にはとても思えなかった。
 一ファンとしても、正直やめてほしいと思った。
 まあ、だいぶ健全路線にするようだから、杞憂かもしれないが。
 と、そこで継生は首を傾げた。
「藤沢なんとかって誰?」
 そう尋ねると、大口は「ええっ!」と大げさに驚いた。
「先生、嘘でしょう。本当に藤沢尚樹を知らないんですか?」
「知らない。見たことも聞いたこともない」
 馬鹿にするような大口の口調が癪に触ったので、継生は開き直った。
「編集の方々の為に、脇目もふらずに命を削って仕事してるからな」
「嫌味言わないでくださいよ」
 大口は眉を下げた。そういう顔をすると、彼が案外と若いことに気が付く。確かまだ二十代半ばだったか。
「藤沢尚樹って、バニーズ事務所のアイドルですよ」
「ふーん」
「興味ないですか? 男のアイドルには」
「俺が男のアイドルに興味があったら、怖いと思わないか?」
「確かにそうですね」
「とにかく、そいつは若い子に人気があるんだろ」
「もう、すごい! 人気です。まだ二十歳前なのに、抱かれたい男ランキングの一位にもなりましたしね」
「あ、そう」
「興味ないですか?」
「だから、ないって言ってるだろ!」
 継生が苛々と言い返すと、大口は怯んだように何度も頷いて、また話し出した。
「それで、話を戻しますけど、どうして『ダーリンは十七歳』をやりたいのかっていうと、主人公二人の年齢設定と、南野ユカ、藤沢尚樹の二人の歳が近いからなんですよ」
「ああ、そういうこと」
 別に作品自体が評価されたわけではなく、単に決められた俳優を使うにあたって都合のいい内容というだけなのだ。
 作者からしてみると、あまり面白くない事実だが、継生がそれなりに納得したとき、梢が部屋へと入ってきた。手には湯呑み茶碗を載せた盆を持っている。
「どうぞ」
 と、梢が茶をテーブルに置くと、大口は恐縮した様子で、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいえ」
 梢は継生をちらりと見た。
「今、藤沢尚樹の話してたでしょ」
「してたよ」
 あまり今の話を梢に聞かせたくなかったので、継生はそっけない返事をしたが、大口はそんな彼の思惑に全く気が付かなかった。
「今度、先生の漫画がドラマになるんですよ。それで、その主役が藤沢尚樹なんです」
「お、お前……!」
 継生は信じられない思いで、大口を見た。先ほど自分で他言無用と言ったではないか。
「えーっ、嘘みたい!」
 梢は顔を輝かせている。
「藤Qが継生ちゃんの漫画をやるなんて!」
「富士急?」
 意味が分からず、継生が目を眇めると、大口が解説してくれた。
「藤沢尚樹の愛称ですよ。藤にアルファベットのQで、藤Q」
「なんか語感が間抜けじゃないか?」
 そう言うと、梢は首を傾げて、一瞬考えるような素振りをしたが、すぐに、
「そう? 可愛いじゃん」
「Qって聞くと、俺はオバケの方を思い出しちゃう」
「やっぱ先生とは世代が……」
「うるさい! お前だってそんなに変わらないだろ!」
「でも、Qって何のQだろ?」
 梢の疑問には、大口も答を持ち合わせてなかったらしく、
「クオリティのQじゃないですか?」
 とぼそぼそ呟いた。
「藤沢クオリティか」
 変なの……。継生が藤Qの姿を勝手に想像していると、一番聞かれたくなかったことを、梢が尋ねてきた。
「どの漫画がドラマ化されるの?」
「……」
「言いたくないんだ。じゃあ、私が当てましょう」
「……当てられるもんなら、当ててみな」
 梢は自信があるようだが、継生は当たるはずがないと踏んだ。なぜなら、あの作品を梢は知らないはずである。連載していたとき、彼女はまだ幼くて、教育上良くないだろうと、必死で隠した覚えがある。
 しかし、そんな継生の確信を、彼女は呆気なく破った。
「ダーリンは十七歳、でしょ」
「な、なんで知ってるんだ」
 継生は唖然として、梢の顔を見返した。
「あれは、お前には見せてないはずだぞ」
「いやぁ、それが……」
 梢は急に照れたように頬を赤くした。
「前に物置を整理したときに、奥にしまわれてるのを、見つけちゃったのよね」
「読んだのか!?」
「読んだよ、悪い?」
「わ、悪かないけど……。いや、でもなァ」
 描いた自分が言うのも何だが、あんな破廉恥な漫画を女の子が読んでいいものだろうか、と継生が困惑していると、梢は不意に口を手で覆って俯いた。
「でも……私ショックだった。継生ちゃんが、あんなことばっかり考えてる人だとは思わなかったから」
 一番恐れていたことを梢が言い出したので、継生は慌てた。
「ち、違う違う! 違うぞ、それは」
「なにが違うのよ」
「あれは、あくまで仕事で描いたものだ。別に俺がいつもあんなことばっかり考えてるわけじゃないし、内容だってほとんど、その時の担当が考えたものなんだよ」
「言い訳と違うー? それ」
 そう言って継生を見る梢の顔には、どこか楽しんでいるような雰囲気があった。これは遊ばれているかもしれない、と彼は思った。
「本当なんだって! つうかお前、今まで俺のことをそういう目で見てたのか。なんだよ酷いな。傷ついたぞ、俺は」
 かなり大げさに「わあっ」と継生はテーブルに突っ伏したが、彼女は乗ってこなかった。
「でも大口さん、あの漫画をドラマ化って、有り得ないですよ」
「大丈夫です。エロい部分はカットしますので」
 継生は憮然として、顔を上げた。
「無視するな」
「変な小芝居始めるから、いけないのよ」 
「最初に小芝居したの、お前の方じゃん!」
「してないわよ、芝居なんて」
「嘘だ、してた」
 こうやって! と、継生が梢の真似をして、口を手で覆ってみせると、突然大口が笑い出した。
「先生って、意外とお茶目なんですね」
「なに!?」
「へへっ、お茶目だって!」
 梢まで指をさして笑う始末。継生は不愉快だと思ったが、その一方でどことなく照れくさい気持ちもあるのは、惚れた弱みという物かもしれなかった。
「言っておくが、俺はまだドラマにすることを許可したわけじゃないぞ」
「そこをなんとか」
 大口は顔の前で、わざとらしく両手を合わせた。ここまで懇願するのは、テレビ局との付き合いがあるせいかもしれない。
 実際のところ、ドラマ化が決まっても作者には金銭的な利益はあまりない。良くても、単行本の増刷が少し期待できるくらいだろうか。
 しかし、作品がテレビで放映されれば、少しは名前が売れるかな、という打算が継生の中で働いた。
 ちょっと(どころではないかもしれないが)作品がお下品なのが気がかりだが、元来、品行方正とは言い難い作風なので、それほど悪影響はないだろう。恥ずかしささえ我慢すれば。
「でも、俺にはあんまりメリットないしなあ」
渋るような言葉が出たのは、大口に対して少し恩を売っておこうという、せこい考えが湧いたからである。
「そんなことありませんよ。先生の名前がメジャーになりますし」
「今はメジャーじゃないからな」
「い、いや……! 今でも十分メジャー、ですが」
「どうせ、俺なんて明日をも知れぬマイナー漫画家だもんなー」
 梢は呆れたようなため息をついた。
「いじめるの、やめなさいよ」
「いじめてないよ。愚痴ってるの」
「愚痴るのもやめて。大口さんが可哀想だから」
 急に悪者にされてしまった。
「お前、俺より大口の味方をするのか」
「継生ちゃんて、どうしてすぐに敵と味方に分けたがるのかな」
「たまには、俺の側に立てと言いたいの」
「親戚の私たちが、揃って大口さんをいじめるのは、フェアじゃないもんー」
 と、梢が大真面目に言うと、大口は驚きの声を上げた。
「先生と梢さんって、兄弟じゃないんですか?」
「違うよ。言ってなかったっけ」
「初耳です」
 大口は腕を組んだ。
「これは、危ないシチュエーションですね」
「ど、どこが」
「若い男女が一つ屋根の下で暮らしてるなんて、いつ間違いが起こってもおかしくないじゃないですか」
 彼としては軽口のつもりで言ったのだろうが、今の継生にとっては洒落にならない。
「お前な、そういうのを下衆の勘ぐりって言うんだよ」
 少しきつめに窘めると、大口はハッと目を見開いて肩を竦めた。梢の方をちらりと見て、頭を下げた。
「すみません」
「はっきり言って、こいつはそんな対象にはなり得ないから」
 嘘も嘘、大嘘である。
「だよな、梢」
 今にも引き攣りそうな笑顔で、継生が促すと、彼女は神妙な顔で頷いた。
「そうです、大口さんが考えてるようなことは、未来永劫、絶対に、百二十パーセントありえません」
 あまりに強く何度も重ねて可能性を否定されると、端から諦めている継生でも、さすがに悲しいものがある。
 こうまで望みが無いと分かっているのに、彼女を慕う気持ちは消えてくれない。全く理不尽なことだ。
「それで先生、ドラマ化の話は進めてもよろしいでしょうか」
 気がつくと、大口が縋るような目で見ていた。元より、承諾する気でいたので、継生は「どうぞ」と言った。
「どのようにでも、好きなように使ってください」
「ありがとうございます!」
 大口は大げさに頭を下げた。テーブルに前髪が付きそうだ。
「そんなに嬉しいんだ」
 驚いたように梢が言うと、大口は顔を上げて、笑顔を見せた。
「今日は、上司からプレッシャー受けてきたから。OKがもらえて良かったです」
 継生はソファーの脇息に頬杖を付いた。
「ご苦労なことで」
「サラリーマンって大変なんだなぁ」
 気の毒半分感心半分といった感じで、梢は嘆息している。
「あのさ」
 と口を挟みかけた継生を、梢が遮った。
「もちろん漫画家も大変だけど」
 彼女は、前を向いたままで、にこにこと笑った。
「なんたって命削って描いてるんだから」
「……よく分かってらっしゃる」
 継生はぼそりと呟いた。
 ほんの気まぐれのようにフォローを入れてくれるところが好きだ。


34 盛り上がってまいりました

 事務所のドアを開けて中へ一歩踏み出した途端、奥の机にいた神奈川が飛んできた。
「梢さん、話は聞きました」
「……なんの話ですか?」
 あんまり彼が顔を近づけてくるので、梢は背中を反らせた。
「またまたとぼけちゃって。先生のドラマ化の話ですよ」
 正確に言えば、「先生の漫画のドラマ化」であろう。
 顔色はいつもと変わらないが、神奈川はかなり興奮しているようだった。
「ああ、ダーリンは十七歳でしょ?」
 梢は思わず吹き出した。あの漫画がドラマになるなんて全く世も末だ。
「びっくりしちゃいますよね、あれがドラマなんて……」
「是非! 出させてもらいましょう」
 という神奈川の言葉に、梢は目を丸くした。
「へ? それはどういう意味ですか」
「だから、そのドラマに出させてもらうんですよ」
「神奈川さん、そんなにテレビに出たいんですか?」
 意外と目立ちたがり屋だったのか、と呆れかける梢に、彼は慌てたように手を振った。
「違いますって。出るのは僕じゃなくて、梢さん、あなたですよ」
「な! なんで私が出なきゃいけないんですか」
 凡そ芸能人とは思えない言葉を梢が吐くと、神奈川は右の拳を固く握った。
「売り出しの千載一遇のチャンスじゃないですか。先生から口添えしてもらえば……」
「梢さんは、専業歌手ですよ」
 という声が突然背後から降ってきた。梢が後ろを振り向くと、腕組みをした相模原が立っていた。
「ああ、お帰りなさい。相模原くん」
「ただいま戻りました」
 営業に行っていたらしい彼は鞄を机に置くと、「あっちで話しましょう」と二人を応接スペースのソファーへ座らせた。
「梢さん、今の話は本当なのか」
相模原が聞くのに、梢は頷いた。
「ドラマ化されるのは本当です」
「間違いありません。僕は継生さんの担当から聞きましたから」
 大口という男は決して口の堅い男ではないようである。
 相模原は向かいに座る神奈川をじっと見据えた。
「はっきりさせておきたいんですが、梢さんは歌手一本でやっていくんですよね」
「ああ、さっきの話ですか。まあドラマに出してもらうなら、桜ヶ丘和泉本人の役としてでしょうけど」
「そんな強引な売り出し方は、彼女には似合いませんよ」
 相模原は強い口調で言った。
「桜ヶ丘和泉は、ポーカーフェイスで血の通わない、俗っぽさとは無縁のアイドルなんですよ。少なくとも、今はそういう路線で売ってるんです。それが、いかにも宣伝です、という形でドラマに出ては、イメージがぶち壊しになってしまいます」
「確かにそれはもっともです」
 神奈川は動揺一つ見せずに頷いた。
「しかしシングルがヒットしている今こそが、桜ヶ丘和泉を世間に認知させる絶好の機会とは思いませんか」
「なんにしても、役者として出るのは絶対に駄目です。中途半端なイメージがつく」
「なら、主題歌として使ってもらえないだろうか」
「そんなの無理に決まってますよ。ああいうのは、大手の事務所と前々から、誰を使うのか話が付いてるんですから」
「しかも、月曜九時の枠ですしね」
「えっ? 月9ですか!? すごいじゃないですか、梢さん」
「はあ」
 月曜九時の枠で放映されるドラマを通称「月9」と言う。高視聴率が期待できる時間帯なので、放映されるドラマは毎クール注目を集める。
 梢は首を傾げた。
「テレビ局はチャレンジャーですね」
 その大事な時間帯に、あのエロ漫画を原作に持ってくるなんて。
「ダーリンは十七歳は、中々深い作品ですよ」
 と、神奈川は言った。
「男と女の間に横たわる性という川の深淵を覗き込むような心持にさせます」
 物は言いようである。
「どういう話なんですか?」
 相模原は読んだことがないらしい。
「随分とシリアスな話っぽいですけど」
 完全に勘違いしている。
「会社員の女性と、高校生の少年が恋に落ちる話でしてね。彼らの愛の営みが、毎回毎回しつこく描かれるんです」
 神奈川が説明してやると、相模原は眉根を寄せた。
「愛の営みとは……」
「同衾すなわち、メイキングラブのことです」
 いたいけな女子高生の私に少しは気を遣えよ、と梢は言いたかったが、もちろん言えずに黙って俯いていた。
 二人は気まずい梢に気付く様子もなく、話している。
「そっ、そんな話がドラマにできるんですか」
「そこはそれ、脚本家が上手くやるんですよ」
「じゃあ単なる歳の差カップルの話になってしまうのでは?」
「でも最近は、みんなそんな感じじゃない」
「まあそうですかね?」
 と、そこで相模原は話が脱線したことに思い至ったらしく、きりりと真面目な顔になった。
「それはともかく、僕もこの機会を逃す話はないと思います」
「主題歌は無理でも、挿入歌に使ってもらえたら御の字なんですけどね。梢さん」
 突然に神奈川が名前を呼ぶので、梢は弾かれたように顔を上げた。
 危うく居眠りしてしまうところだった。
「継生さんにドラマの件、お願いしてみてもらえないでしょうか」
「……私から話すんですか?」
 梢は困惑した。
 親しい関係を利用して、そういう頼みごとをするのは、あまり気乗りがしない。それに原作者だからといって、そんなに力があるものなのだろうか。
「もちろん僕も一緒に行きます」
 と、相模原は言い添えた。
「でも、あの人にお願いしたくらいで、なんとかなるものなんでしょうか」
 浮かない顔をしている梢に、神奈川は自信ありげに言った。
「なんとかしますよ、局がね。もうドラマ化を承諾してから、だいぶ経ってますから、製作も進んでるでしょう。版権元がごねても、今更、話を白紙には戻せないはずです」
「そういうものですか」
「そういうものです」 
 神奈川はきっぱりと断言した。
「幸い、僕はまだ編集部に知り合いが多いですから、そちらからも話をしてみますよ」
「わかりました」
 頷くと、相模原は腕時計を見て、ソファーから立った。
「それじゃ、そろそろ行こうか」
「はい」
 梢も立ち上がった。
 今日はこれから、雑誌の取材がある。

 事務所を出て、そこから少し離れた駐車場に向かう間、相模原は手に持った車のキーを一度もちゃらちゃら鳴らしたりしなかった。
 継生なら絶対に振り回している。
「大丈夫?」
 相模原は不意にそんなことを言った。
「大丈夫ですよ」
 何のことを聞かれているのか分からないまま、梢は返事をした。
 駐車場では、西日が差す中、子供たちが駆け回って遊んでいた。アスファルトで舗装されていない地面は、敷かれた砂利の隙間から、雑草が顔を出している。
「段々忙しくなるな」
 相模原は独り言のつもりで呟いたのかもしれないが、その言葉は梢の耳にもしっかり届いた。
 忙しくなることを、嬉しいとは思えなかった。
 このまま自分はどこまで行くのだろうと、梢は漠然と考えた。




 

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