TROUBLEMAKER 21 - 22




21 燃える新社長

 
 二週間前と同じように事務所の階段を上りながら、相模原は梢に言った。
「今日こそは、うちの社長に会ってもらえるよ」
「あ、そうですか」
 何だか困ったように返事をする梢を見て、相模原は自分の発言が些かブラックジョーク的だったかと、反省した。
 今は亡き人となってしまった前社長には雇ってもらった恩もあるし、彼の大らかな性格も敬愛していたが、強い悲しみは、いつの間にか日常にさらわれてしまったようだった。
「新しい社長さんというのは、どんな人なんですか?」
「いやあ、いい人ですよ」
 なんだよ、いい人って。相模原は己の表現力の無さにげんなりしつつ、言葉を続けた。
「若くて男前だし」
「へえー」
 梢の表情が少し明るくなった。段々分かってきたことだが、彼女は結構面食いなところがあるようだ。
「そういえば、君のお兄さんもすごい男前だよね」
「よく、そう言われますね」
「お兄さんも、うちの事務所に来てもらおうかな」
 と、相模原にしては珍しく冗談交じりに言ったのだが、梢はにこりともしない。
「やめた方がいいですよ。過去の女性関係がすごいですから」
「そ、そうなの?」
「刃傷沙汰にまでなったことありますし」
 大体さ別れ方がまずいんだよなと、十七歳の少女が神妙な顔で呟いている。
(一体、どんな家庭なんだよ)
 相模原の顔は小さく強張った。 
 そうこうしているうちに、事務所の扉の前についた。
「ここが、事務所です」
 先週も全く同じ言葉を発したような気がして、少し決まりが悪くなりつつ、扉を開けようと相模原がノブに手をかけた途端、まだ力を入れていないのに扉が急に眼前にせり出してきた。
「どぅわっ!?」
 相模原は奇声を上げて飛びのいた。扉の向こうでは若い男がノブを握って、ニコニコと笑いながら立っていた。
「ははっ、ビックリしたかい?」
 彼は横浜企画の新社長だった。つまり前社長の息子である。小心なところのある相模原が思わず胸に手を当てていると、梢がすっとんきょうな声を上げた。
「あれっ、神奈川さん?」
「やあ、どうも」
 社長の神奈川は梢に小さく会釈をした。初めのうち呆気に取られた顔をしていた梢は、次第に不安げな表情になり、神奈川と相模原を代わる代わる見上げた。
「どうして、神奈川さんがここに……いる……んだろ?」
「君、社長と知り合いだったの?」
 相模原が尋ねると、梢はハッと目を見開いた。
「社長!?」 
 驚いている様子の梢に、神奈川は少し神妙な顔をした。
「悪かったね、今まで黙っていて。実は僕の父はこの間死んだ、ここの社長でして」
「ほ、本当に?」
 相模原は何が何だか分からないまま、二人の会話を聞いていることしかできなかった。どうやら、梢と神奈川は知り合いらしい。
「どうしよう。継生ちゃんに何て言えばいいんだろ」
「先生には、また僕もちゃんと挨拶に行くよ」
「ぜえったい、面倒なこと言うと思う。神奈川さんじゃ頼りないとかなんとか」
「ああ、言いそうだなぁ」
 ひどい評価をされているのに、さほど気にしていないのか、笑いながら、神奈川は梢を「どうぞ」と事務所の中へいざなった。
「ほら、相模原くんも」
「はあ、では」
 なんて、社員なのに客のような扱いで、相模原も中へと足を踏み入れた。

 事務所内では片倉がお茶を淹れていた。新しい社長の存在にまだ慣れていないようで、動作がどこかぎくしゃくしている。
「梢さん、こちらが事務を担当してくださってる片倉さんです」
「はじめまして、町田梢といいます」
「あ、はじめまして。片倉です……」
「まあ、僕と片倉さんも、この間会ったばかりなんだけどね」
 と、神奈川は人の良さそうな笑顔を浮かべた。この男、いつもこんな調子で始終ニコニコとしていて、相模原からすると、どうも胡散臭いというか、頼り無さそうというか、いまいち信用できないでいる。まだ会ってから二週間しか経っていないので無理もないのかもしれないが。
 三人は衝立で区切られた一角のソファーに座った。前社長が亡くなった場所である。それを思うと、相模原は正直背筋が寒くなったが、神奈川と梢は(彼女も倒れた社長を見た)全く気にしていないようで、相模原には彼らの鈍感さは理解しがたかった。
 神奈川と梢がテーブルを挟んで向き合うように座り、相模原は梢の隣に腰を下ろした。
「いきなりだけど、梢さんには歌手としてデビューしてもらいたいと思っている」
「え?」
 と疑問の声を上げたのは相模原で、彼は前社長との会話の中で、梢には女優としての活動をさせたいと希望していたからだった。
「でも梢さんには、来春公開の角山作品のオーディションを……」
「今、日本の若手女優は飽和状態です。入り込む余地はない」
「しかし、それを言ったら専業歌手だって今時は流行りませんよ」
「だから、そこが狙い目なんですよ。流行ってないってことは、あまり人がいないってことでしょ?開拓できる余地があるってことです」
「開拓も何も、歌い手の時代はもう終わったようなものですからね。今は自分でディレクションする能力がないと」
「そういうアーティスト志向みたいなものに、世間はそろそろうんざりしてきてると思うけどなぁ、僕は。流行というのは繰り返すものです。絶対にまた山口一恵のようなアイドル歌手が必要とされるはずなんだ」 
「山口一恵ですかぁ?」
 神奈川の発言に、相模原は半ば呆れた。山口一恵といえばカリスマの権化と言ってもいい伝説のアイドルである。
 隣の梢を見てみるが、彼女はいまいちピンと来ていないような顔をしていた。
 相模原は梢に尋ねた。
「君、山口一恵って知ってる?」
「あー……でも、テレビで見たことありますよ。バカにしないでよー♪っていう歌でしょ?」
「そうそう!」
 と、神奈川は我が意を得たりといった感じで、大きく頷いた。
「これからは、神秘のベールに包まれた昔ながらのスターが新しい」
「上手くいきますかね。このご時世、一人の人間のプライベートを隠すというのは大変なことですよ」
 相模原は思わずため息をついた。
「神秘的なイメージを守るなら、バラエティにも出られませんしね」
 昨今のバラエティ番組は、タレントを庶民の位置まで引き摺り下ろすのを良しとしている。「神秘のスター」たるなら、当然出演することはできない。
「それに今時の子は『お高くとまってる』なんて叩くかもしれませんよ、そういう正統派アイドルは。……笑いが取れないヤツには厳しいですから」
「若者なんてターゲットにしませんよ。梢さんは、中高年のアイドルになってもらうんです!」
「氷川き○しみたいな?」
「まあ、演歌は無いですけどね。基本的には誰だって若い声が好きだと思うんですよ、僕は。だから梢さんには、その路線を狙ってもらいたい」
「そんなの夢物語です!大体、曲は誰に作ってもらうんですか」
「梅ヶ丘涼先生に。もう頼んであります。ちなみに作詞は豪徳寺長平先生です」
「……」
 神奈川の口から飛び出した名前に、相模原は絶句した。梅ヶ丘涼に豪徳寺長平なんて日本音楽界のビッグネームではないか。しかも最近は二人とも仕事をセーブしているはずだ。
 しばし沈黙したあとで、相模原はようよう声を絞り出した。
「それは、社長の願望ですか?」 
「えっ、違いますよ。もうお二人には梢さんの写真を見せて、OKを貰ってます」
「な、なんで……」
「まあ、色々と昔からのご縁がありまして。あ、もちろんレコード会社の方も手は打ってありますから」
「……」
 相模原は唖然とした。神奈川の提案したプランには疑問が残るが、とにかく彼の行動は早いようだ。
「いつの間に、私の写真なんて撮ったんですか?」
 事の大きさを把握していないらしい梢は、どうでもいいことを気にしている。神奈川は穏やかに微笑んだ。
「実は、ちょっとした隙を狙ってこう……こっそりと」
「と、盗撮……」
 少し引いている梢に、神奈川は素直に「申し訳ない」と頭を下げた。そんな二人をよそに、相模原は言いようの無い不安を感じ始めていた。

 梢が帰ったあとで、相模原はずっと気になっていたことを神奈川に尋ねた。
「社長、一つ聞いてもいいでしょうか」
「なんでしょう?」
「あなたは梢さんが歌うのを聞いたことがあるんですか?」
「……」
 しばしの沈黙のあと、神奈川は破顔一笑した。
「そう言われてみると、聞いたことありませんね。いやあ、うっかりしてた」
「な、な、なんだってぇ!?そんなの……あり得ない!!」
 相手が社長だということを忘れて、相模原は声を荒げた。
「歌も聞かないうちに、あんな大物に曲を依頼するなんて!!」
「ま、なんとかなりますよ。梢さんは声もなかなか可愛いし」
「なんとかなるって……そんなぁ……」
「アイドルなんて、音痴でもやっていけるもんです」
「山口一恵を目指すんじゃなかったんですか!?」
「まあ、最終的には……ね」
 暢気な神奈川を前にして、相模原は頭が痛くなってきた。
 自分がとんでもない騒動に巻き込まれていくような、そんな予感がしていた。


22 スターライトに恋して 

「そういえば、私、歌手デビューすることになったんだー」
 梢がそう報告すると、味噌汁の椀に口をつけていた継生は「ぶはっ」とむせた。梢は眉をひそめた。
「汚いわね」
「お、お前が驚かすからだろ」
「いきなり、曲なんて出してもらえるものなんですね」
 淵野辺が驚いたように言う。今日はアシスタントの面々も共に夕餉を囲んでいた。
「なんだか、梢ちゃんが急に遠い存在に思えてきました」 
「今のうちにサインを貰っておいたらどうだ?」
 と菊名。
「梢ちゃんが売れたらお宝になるぞ」
「バカ、そんな上手いこといくわけねーだろ」
「楽しい話に水を差さないでくださいよ」
 相原はコロッケを頬張りながら、不満げに箸をカチカチと鳴らした。
「先生って、ほんと夢がないですよね」
「リアリストと言ってくれ」
「継生ちゃんは、それでいいと思う」
 梢がそう言うと、継生を除いた三人の目が丸くなった。皆、不思議そうな顔をしている。梢は首を傾げた。
「私、何か変なこと言いました?」
 菊名が笑った。
「いや……梢ちゃんが継生さんのことを認めるなんて珍しいと思ってな」
「なんだそれは」
 継生は苦虫を噛み潰したような顔をした。梢は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「あの、皆が皆いいことばかり言うと、なんとなく不安になるから……。継生ちゃんみたいに、否定的なことを言ってくれる人がいた方が、安心するような気がするんです」
「ふーん、変わってるね。梢ちゃんって」
「嫌われてなくて良かったな、継生さん」
「嫌われてるなんて、元から思ってないから!お前ら、俺を何だと思ってるんだよ」 
「……」
 誰も何も言わなかった。しばらくして、場の空気を変えようとしたのか、淵野辺がひっくり返ったような声を出した。
「そうだ、梢ちゃんのデビュー曲って、どんな歌なの?」
「まだ出来てないけど、なんかすごい人が作ってくれるみたいだった」
「なんかすごい人って、どんな人だよ」
「とにかく、なんかすごい人よ」
 と、梢がご飯を口に運んだとき、玄関の電話が鳴った。継生に向けて「出て出て!」と無言で手でジェスチャーをする。
「へーへー」
 継生は渋々といった感じで席から立つと、廊下へ出て行った。「まったく顎で使いやがってよー」と悪態をつきながら。
「完全に尻に敷かれてら」
 相原はぼそりと呟いた。菊名が梢に言う。
「梢ちゃんは、きっといいお嫁さんになれるぞ」
「えー?」
 梢はどういう反応をしていいのか困ったが、褒められて悪い気はせず、顔が少しにやけた。
「どんな人と結婚するのかなぁ、梢ちゃんは」
 淵野辺がため息混じりに呟くと、菊名はきりりと真面目な顔つきになった。
「悪い男に引っかかっちゃ駄目だからな」 
「はあ……」
「彼氏ができたら、僕たちにも紹介してよね」
「今のところ予定はないですけど」
 心配そうな顔をしている淵野辺に梢が笑いかけると、廊下の方からドスドスドスという、無遠慮極まりない足音が聞こえてきた。
 もちろんそれは継生の足音で、彼は部屋に入ってくるなり「なんで黙ってたんだ!」と梢をなじった。その瞬間「あ」と彼女は口をぽかんと開けた。ある重要な事実を継生に伝えるのを忘れていたことに気が付いたからだ。
「継生ちゃん、言うの忘れてたけど、横浜企画の新しい社長さんって」
「神奈川なんだろ。ヤツからの電話だったぜ、今の」
「……あ、そう」
「あそう、じゃないよ。バカみたいじゃないか、俺が!何にも知らないで『あれ?神奈川?俺、なんかマズイことしたかな』なんて言っちゃってさ」
「ごめんね。すっかり忘れてて」
「許さない」
「いいわよ、別に。許してもらわなくても」
「嘘だよ、許してやるよ!!」
「なんなんだ、この人たち……」
「それより、何の用だったの?神奈川さんは」
「……お前のデビュー曲の歌詞ができたから、今からファックスで送るって」 
「本当!?」
 梢はまだ食事を終えていないにも関わらず、席から立ち上がり廊下へ出た。「食い終わってからにしろよ」と嗜める継生の声が聞こえたが、構うものか。
 この家の電話機は今時珍しく玄関にある。下駄箱の上に鎮座しているそれの前に辿りついた丁度そのとき、電話が鳴った。受話器を耳に当てると電子音がしている。受信ボタンを押して、梢はその場でしばらく待った。
(楽しみなような不安なような)
 ブブブブと紙が排出口から出てくるのを見ながら、梢は胸の辺りがもやもやとしてくるのを感じた。相模原が驚愕するほどの偉い作詞家に書いてもらった以上、もう後戻りはできない。
(大体、私なんて人前で歌ったこともないし……)
 と、そこで、梢はまだ相模原にも神奈川にも、自分の歌を聞かせたことなどないことに思い当たった。
(考えてみれば、まずくない?)
 一回も歌を聞いたことがないのに歌手にさせるなんて、そんな話があるものだろうか。それとも芸能界というのは、そんないい加減な世界なのだろうか。梢には分からなかった。
 しばらくすると、ピーッという音が鳴り、ようやく受信が終わった。
「もう来た?」
 良いタイミングで継生がやってきた。彼も気になっていたのか、梢より先に紙を取ろうとする。梢は継生の手を壁に押し付けた。
「ちょっと先に見ないでよー」
「先に見ようと、後で見ようと同じだろっ」
「同じじゃないっ!」
「じゃあ、一緒に見よ」
 力にものを言わせて梢の手を跳ね除けると、継生は紙を梢にも見えるように広げた。
 一番上にタイトルが書いてある。ほとんど殴り書きのような字で。


 スターライトに恋して
 
 星はきらめき 恋はかがやき
 硝子窓の向こうを涙が流れていくわ

 あなたとわたし まるで ほうき星みたいね
 いつかは燃え尽きてしまうと知っているのに
 wow wow……時はイリュージョン



「ああ、スターライトスターライト、アイラブユーフォーエバー」
「声に出して読まないでよ!」
 梢は継生から紙を引っ手繰ると、後ろ手に隠した。継生は顔を俯けて、堪え切れないように笑った。
「すげー歌だなぁ」
「い、いい歌じゃない。ロマンチックで!」
 と梢は抵抗を試みたものの、自分でも「なんじゃこりゃ」と思わずにはいられなかった。今時の歌とは思えない、この……古臭さ。
 梢は何だか泣きたくなってきた。
「……」
 黙ったままうなだれていると、継生が気遣わしげに顔を覗き込んできた。
「もしかして、落ち込んじゃった?」
「……」
「あ、でも、よく読めば結構いい歌詞かもしれない」
「笑ったくせに……」
「拗ねるなよー」
「いいんだ、もう……」
 紙を握り締めて、梢はとぼとぼと自室へと向かった。継生が慌てたように声をかけてくる。
「まだメシが残ってるだろ」
「継生ちゃんにあげる」
「あげるって、おい……」
 まだ何か言いたげな継生を残して、梢は部屋のドアを閉めた。




 

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