お兄さんは苦労する 1 


 テレビを見ていた梢が、不意に呟いた。
「そう言えば、もうすぐ継生ちゃんに、何かしてあげなきゃ」
「えっ、何か?」
 ドキ……!
「ど、どういう意味かな、それは」
 継生が聞き返すと、梢はあっけらかんと言った。
「えー、だってもうすぐ父の日だから」
 継生は一瞬呆気に取られた。
「おいおいおいおい! 俺は父じゃねえぞ!」
「そうなんだけどさぁ。なんとなく、父っぽくもあるでしょ? 小さい時からお世話になってるわけだし」
 梢は苦笑いしているが、継生としては笑えない。
「だからって、父の日はないだろ」
「うん、ごめんね。私も継生ちゃんのこと、父だなんて思ってないよ」
「当たり前だ。重ねて言うが、当たり前すぎるぞ」
 継生は憮然とした。梢はソファーに座ったままで、大きく伸びをすると、息を一つ吐いた。
「継生ちゃんが嫌なら、やっぱり何もしなくていいかー」
「ちょっと待て」
「なによ」
「お前が何かしてくれるというんなら、俺はそれを受け入れることにやぶさかではない」
 自分でも何を言っているのか、よく分からなくなりそうになる。
 梢は眉をひそめた。
「回りくどい言い方だなー。つまり、私に何かしてほしいわけでしょ」
「そう思ってもらって構わないけどな」
「……」
 呆れたような顔をする梢に、継生は恥ずかしくなった。
「なんだよ、最初に言い出したのは、お前の方だろが!」
「はいはい。それじゃあ、肩叩き券でもあげようかな」
「かっ、かたたたたき券?」
「たが多いんですけど」
 冷静に指摘する梢を、継生は呆然と見返した。
「まさか本気じゃないよな。高校生にもなって」
 しかし、梢は至って真面目な顔をしている。
「不服なら、肩叩き券プラスお手伝い券にしましょうか?」
「どうしても券にこだわるつもりか。強情な奴だな」
 梢は頬に手を当てて、ため息をついた。
「だって、お金が無いの」
「でも、お前の歌、結構売れてるんだろ」
「まだ印税入ってこないもん」
「そうか。そうだよな」
 納得した。売れたからといって、すぐに金が手元にやって来るわけではないのだ。
 梢は沈んだ声を出した。
「だから、私の真心を受け取ってもらおうと思ったんだけど……どうやらお気に召さなかったようね」
「いや、別にそんなことはないって……」
 どうせ小芝居だと分かっているのに、彼女の悲しげな顔を見ると、継生はすぐに弱気になってしまう。
 そのとき、突然背後から声が聞こえた。
「肩叩き券でも、いいじゃないか」
 後ろを振り返りながら、継生は表情が険しくなるのを止められなかった。
「菊名、いつの間に来たんだ」
 彼は継生の後ろに仁王立ちしていた。この男、いつ見ても偉そうなのは何故なのだろう。
「実はさっきからいたんだがな。それより継生さん、肩叩き券でも貰えるだけマシだぞ」
「そうか?」
 むしろ馬鹿にされているような気がするのだが。
「俺なんて、父の日は何も予定がない」
 菊名は沈痛な面持ちで言った。
「それに比べれば、継生さんは幸せ者だ」
「いや、俺らは父じゃないんだから、予定がなくて正解のはずだ」
「むう、考えてみればそうだったか」
「あのーちょっと、いいですか」
 螺子の飛んだ会話を交わす二人の間に、梢が控えめに割って入ってきた。
「なんだね、梢ちゃん」
「菊名さんも、継生ちゃんも、まだお父さんがいるんだから、逆に何かしてあげるべきなんじゃないでしょうか」
「うむ、確かに言われてみれば」
 至極真っ当な梢の意見を、菊名は素直に受け入れるつもりらしいが、継生はそういう気にはなれなかった。
「冗談じゃないね、あんなクソ親父」
 父親とは幼少の頃から、反りが合わない
「そんなこと言ってると、いつかきっと後悔すると思うなー」
 梢が言った。それは特別悲壮な感じなどない何気ない口調だったが、継生は思わず顔を強張らせた。
 ああっ、俺って奴は! 親を亡くしている梢の前でなんてことを。
 気軽に触れてはいけない話題だった。手頃な柱があれば頭を打ち付けたい気分である。
 そんな継生に追い討ちをかけるように、菊名が口を開いた。
「デリカシーが無さ過ぎるぞ、継生さん」
 自分一人だけが分かっているようなことを言うので、継生はかちんと来た。
「なんだ偉そうに。お前だって、家から勘当されてるくせによ」
「勘当されたわけじゃない。俺が勝手に出てきたんだ」
 菊名は、彼にしては珍しく動揺したように目を泳がせた。しかし、継生は真相を知っている。
「素行が悪くて、追ん出されたんだろうが」
「違う、自分から出てやったんだ」
 どうしてもそこは譲れないらしい。菊名にとって勘当という事実は余程認めがたいものなのだろう。
 二人が睨み合っていると、梢がうんざりしたような声を上げた。
「そんなのどっちでもいいでしょ。不毛な言い争いはやめてよ」
 彼女の言葉に、菊名はぎくりと肩を揺らして、申し訳なさそうに項垂れた。
「すまない、梢ちゃん。君の気持ちも考えず」
 梢は腕組みをして、菊名と継生を見やった。
「そうよ、二人とも贅沢だわ。私にはお父さんもお母さんもいないのに」
「でも、お前には俺という素晴らしい家族がいるじゃないか!」
 と、元気付ける意味も込めて、いささか大げさな口調で継生は言った。
「まあね」
 しかし、ふんと鼻で笑われてしまった。
「なんだ、その軽い返事は」
「とにかく、父の日には肩叩き券を上げるから、それで勘弁してよ」
 勘弁してやってもいいが、一つ言っておきたいことが、継生にはある。
「お手伝い券もくれ」
「一体、何を手伝ってもらうつもりだ、継生さん」
 気が付くと、菊名が真面目くさった顔をして、継生を見ていた。
「……何が言いたいんだよ、お前は」
「別に変なことを聞いているつもりはないぞ。俺はただ、あんたが梢ちゃんに何を手伝わせるのかなと思っただけだ」
 菊名がそう言うのを聞いた途端に、梢の顔色が変わった。
「えっ! ちょっと、変なことやらせるつもりじゃないでしょうね」
「バカ、誰が変なことなんて!」
 それってどんなことだろう、と継生は想像しかけた。もちろん健全な想像ではない。
「そうだ、こんなのはどうだろう」
 邪な妄想を働かせている継生をよそに、菊名は唐突にぽんと手を叩いた。梢が不思議そうに首を傾げる。
「なんですか」
「一日継生さんを立ててあげる券、というのはどうだ」
 梢は眉根を寄せた。
「それは、この人を『あんたはエライっ!』って、持てはやすということですか?」
「……なんかなぁ」
 継生としては素直に喜べない提案である。そういった券を使用しないと、立ててもらえないとは、情けなさ過ぎる。
「いつもいつも梢ちゃんから蔑ろにされてる継生さんだからな。たまには、ちやほやしてやってもいいんじゃないか?」
 どうして、後輩である菊名から、こんなことを言われなくてはならないのか。
「あまり嬉しくないんだが」
 ぼそりと呟いた継生を、梢はまるきり無視した。
「それいいかもしれない」
 どうやら、彼女は乗り気になったようだった。
「じゃあ継生ちゃんには、父の日に『一日ちやほやしてあげる券』を上げましょう」
 結局、券かよ……。
 継生はあからさまにため息をつき、落胆を隠さなかったが、梢はちっとも気付く様子がない。
「もう、それで決まりなのか」
「うん」
 しっかりと頷く梢を前にして、継生はそれ以上食い下がる気がしなかった。

 




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